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近代以前の日本における教科書 : ミニ英和和英辞書
近代以前の日本における教科書[きんだいいぜんのにほんにおけるきょうかしょ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

近代 : [きんだい]
 【名詞】 1. present day 
: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
以前 : [いぜん]
  1. (n-adv,n-t) ago 2. since 3. before 4. previous 
: [にち, ひ]
  1. (n-adv,n-t) sun 2. sunshine 3. day 
日本 : [にっぽん, にほん]
 【名詞】 1. Japan 
: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
教科 : [きょうか]
 【名詞】 1. subject 2. curriculum 
教科書 : [きょうかしょ]
 【名詞】 1. text book 
: [か]
  1. (n,n-suf) department 2. section 
: [しょ]
 【名詞】 1. penmanship 2. handwriting 3. calligraphy (esp. Chinese)

近代以前の日本における教科書 : ウィキペディア日本語版
近代以前の日本における教科書[きんだいいぜんのにほんにおけるきょうかしょ]
近代以前の日本における教科書(きんだいいぜんのにほんにおけるきょうかしょ)では、明治学校制度確立以前の日本教科書学習教材)の歴史について解説する。
== 古代 ==
古事記』『日本書紀』によれば、王仁が『論語』『千字文』を伝えて応神天皇の皇子に教えたとされているが、真偽は不明である。また、大化改新直前に中臣鎌足僧旻より『周易』を習い、更に中大兄皇子を誘って南淵請安の塾に通ったとされている。
日本最初の本格的な教育機関は律令制における大学寮であるとされているが、学令によればその本科(後の明経道)においては、儒教のうちの『論語』『孝経』を必修とし、『周易』『尚書』『周礼』『儀礼』『礼記』『毛詩』『春秋左氏伝』の7経のうち、『礼記』『春秋左氏伝』を大経、『毛詩』『周礼』『儀礼』を中経、『周易』『尚書』を小経としてその組み合わせで先行する経典を定めた。なお、用いる経典の注釈書についても『周易』は鄭玄王弼、『尚書』『孝経』は孔安国や鄭玄、『周礼』『儀礼』『礼記』『毛詩』は鄭玄、『春秋左氏伝』は服虔杜預、『論語』は鄭玄や何晏のものと定められていた。なお、『春秋公羊伝』と『春秋穀梁伝』は、宝亀7年(776年)にから帰国した伊与部家守(伊予部宅守)が両書の解釈を伝え〔それ以前の日本に両書が存在したかは不明。〕、延暦17年(798年)に小経に追加された。また、貞観2年(860年)には『孝経』の注釈書が大春日雄継の進言にて唐の玄宗御製の注釈書である『御注孝経開元始注)』を採用する(ただし、孔安国については学習を妨げない)とした〔『御注孝経』は皇帝直々の撰述という点のみならず、君主の君徳と臣下の責務について特に強調した点でも特徴があり、唐と同様に君主(天皇)の権威強化の面で期待されたと考えられている。〕。また、算道は『孫子算経』『五曹算経』『九章算術』『海島算経』『六章』『綴術』『三開重差』『周髀算経』『九司』の9書を教科書としていた『延喜式』大学寮式では全て小経に区別されているが、『九章算術』『六章』『綴術』が必修とされており、後に『周髀算経』がこれに準じるものとされている。神亀天平期に成立したとされている明法道紀伝道では、前者は律令そのものを教科書として『延喜式』では「律」を中経・「令」を小経としている。後者は当初は『文選』と『爾雅』を採用していたが、『延喜式』では『爾雅』に代わって「三史」(『史記』『漢書』『後漢書』)が採用されていずれも大経とされている。
だが、実際の貴族社会の立身に大いに影響を与えたのは、蔭位大舎人内舎人などの血統に基づく仕組によるところが大きく、有力貴族の子弟は大学寮への就学が義務付けられていた平安時代のごく初期を除いて家庭における教育が主体であった。児童教育については、『蒙求』『千字文』『李嶠百廿詠』が主に用いられ、後に藤原公任が『和漢朗詠集』、藤原宗忠が『作文大体』、三善為康が『続千字文』『童蒙頌韻』を著すとこれらも用いられた。ただし、いずれも当時の学術の主流であった紀伝道系の漢文学漢詩に関する書籍であった。また、儒教の経典の暗誦なども行われていたようである。7・8歳あるいは13・14歳(時期によって違う)になると、読書始御書始)の儀が行われ、『御注孝経』『史記』などから始められた。成人後には天皇の場合には文章博士などが侍読を務め、摂関家でも著名な学者を家司などに任じて侍読役を務めた〔『二中歴』によれば、藤原基経には藤原佐世藤原忠平には大蔵善行藤原道長には文屋如正藤原頼通には大江匡衡藤原師通には大江匡房が就いたという。〕。基本的には大学寮の明経道・紀伝道で採用されている書物が教科書として用いられたが、『群書治要』〔清和天皇は菅原是善より(『三代実録』貞観17年4月27日条)、醍醐天皇紀長谷雄より(『日本紀略昌泰元年2月28日条)講義を受けている。〕『老子』『荘子』〔仁明天皇春澄善縄より講義を受け(『続日本後紀承和14年5月乙亥条)、文徳天皇は滋野安城に命じて侍従所において、『老子』『荘子』の講義を開かせている(『文徳実録天安2年3月丙子条)。また、文章博士を務めた大江氏大江千古以後代々、歴代の天皇・摂関に講義を行うことになっていたという(『江吏部集』)。〕『白氏文集』〔藤原彰子紫式部より講義を受けた(『紫式部日記』)。〕『貞観政要』『世説新語』などそれ以外の講義も広く行われていた。また、特定個人のために作られた書籍として、菅原是善皇太子時代の文徳天皇に授けた『東宮切韻』(散逸)、源順勤子内親王に授けた『和名類聚抄』、源為憲尊子内親王に授けた『三宝絵詞』、同人が藤原誠信に授けた『口遊』などがある。〔『東宮切韻』『和名類聚抄』は今日における辞書に近いものであったが、著作目的からして教材として捉えることが可能である。〕平安時代後期、藤原明衡公家の文書作成のための参考とするために日本最古の往来物とされる『雲州消息』を執筆することとなる。〔手紙形式の文例集は中国にもあったが、『雲州消息』は日本にて用いられた手紙形式を取っており独特の発展を遂げていることが分かる。〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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