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歌川国安[うたがわ くにやす] 歌川 国安(うたがわ くにやす、寛政6年〈1794年〉 - 天保3年7月6日〈1832年8月1日〉)は、江戸時代の浮世絵師。 == 来歴 == 歌川豊国の門人。俗称は安治郎、又は安五郎。一鳳斎と号す。若書きの作品には「豊国門人国安画」と落款している。作画期は文化(1804年-1818年)期から没年にいたっている。豊国は多くの逸材を育てており、文化の頃には歌川国貞を別格にして国安、歌川国丸、歌川国直の3人が、豊国門下の三羽烏といわれていた。国安は長い間、師の豊国と同居しており、美人画や役者絵のほか団扇絵、遠近法を取入れた箱根、江の島その他の風景画(浮絵)及び合巻の挿絵などを残した。また肉筆画においても活躍した。文化年間は国丸、国直に先んじられて作品が少ない。文政(1818年-1830年)期に入って漸く繊細な感覚の美人画を描いて人気を得ていたが、惜しくも早世した。一時、画名を西川安信と称したが、後にまた旧名の国安に戻っている。一風変わった作品では、文政4年(1821年)作画の「駱駝之図」が挙げられる。また滝沢馬琴の『傾城水滸伝』(文政7-9年)の袋絵を手がけたことで知られる。享年39。 国安の門人には歌川安信、歌川安峰のほか、歌川安清、歌川安重、歌川安常、歌川安春、歌川安秀がいた。安清、安重、安常、安春、安秀は皆、文政期に活躍している。なお安秀は本名を多吉といった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「歌川国安」の詳細全文を読む
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