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ジョー・ルダック : ミニ英和和英辞書
ジョー・ルダック[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジョー・ルダック : ウィキペディア日本語版
ジョー・ルダック[ちょうおん]

ジョー・ルダックJos LeDuc、本名:Michel Pigeon1944年8月31日 - 1999年5月1日)は、カナダプロレスラーケベック州モントリオール出身のフランス系カナダ人ケベック人)。
ネルシャツジーンズをコスチュームに、カナダのランバージャックギミックとしたパワーファイターとして、カナダ各地をはじめアメリカ合衆国の主要テリトリーで活躍した。
== 来歴 ==
ケベックの警察官を経て、同郷のポール・ルダックの勧めでプロレスラーに転向。1968年のデビュー後はポールの弟のジョー・ルダックを名乗り、ルダック・ブラザーズとして地元のモントリオールカルガリーなどカナダの激戦区を転戦する。シングルでもモントリオールIWAのインターナショナル・ヘビー級王座を獲得し、マッドドッグ・バションキラー・コワルスキーなどのビッグネームとも対戦した。1971年3月には日本プロレスの第13回ワールドリーグ戦に初来日。翌1972年3月の第14回大会にも、リングネームをカナディアン・ランバージャック(''The Canadian Lumberjack'')に変えて連続出場している。
1973年より、ポールとのコンビでアメリカ南部NWAフロリダ地区(エディ・グラハム主宰のチャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ)に参戦。ベビーフェイスの兄弟チームとして活動し、当時まだヒールだったダスティ・ローデスディック・スレーターのコンビからフロリダ・タッグ王座を奪取した。1974年には、同じくギミック上の兄弟であるマッドドッグ・バション&スタン・バション(スタン・プラスキー)との「兄弟タッグ抗争」も展開された。
ルダック・ブラザーズ解散後はバーン・ガニア主宰のAWAに登場。ラリー・ヘニングと組んで1975年バリアント・ブラザーズと抗争し、1976年にはブラックジャック・ランザ&ボビー・ダンカンAWA世界タッグ王座に再三挑戦、ニック・ボックウィンクルAWA世界ヘビー級王座にも挑んだ。1978年テネシー州メンフィスCWAジェリー・ローラーモンゴリアン・ストンパーと抗争。この時期よりヒールでの活動が増え、古巣のフロリダでも当初はベビーフェイス陣営でオックス・ベーカーパク・ソンと抗争していたが、1979年にヒールに転向し、同地区のヒーローとなっていたダスティ・ローデスと遺恨試合を展開した。フロリダでは1977年から1979年にかけて、タンパマイアミビーチにてハーリー・レイスNWA世界ヘビー級王座に度々挑戦している。
1979年10月には国際プロレスへの参戦で久々の来日が実現。10月3日に黒石にてラッシャー木村IWA世界ヘビー級王座に挑戦し〔『忘れじの国際プロレス』P101(2014年、ベースボール・マガジン社、ISBN 4583620802)〕、当時木村と抗争していた上田馬之助とも共闘した。この来日時には、10月5日に国際プロレスに特別参戦(上田と組んでマイティ井上&アニマル浜口IWA世界タッグ王座に挑戦)した大木金太郎の代役として、同日に行われた横浜での全日本プロレスのシリーズ開幕戦に出場し、グレート小鹿と対戦している。翌1980年4月の再来日では、4月30日に弘前にて木村のIWA世界ヘビー級王座に再挑戦し〔、5月15日には大宮で大木のインターナショナル・ヘビー級王座にも挑戦したが〔『忘れじの国際プロレス』P103(2014年、ベースボール・マガジン社、ISBN 4583620802)〕、同時参加していたマイク・ジョージの活躍に食われて精彩を欠き、目立った戦績を残すことはできなかった。
1981年ニュージーランドに遠征し、マーク・ルーインと英連邦ヘビー級王座を巡る抗争を展開。アメリカに戻るとアラバマ地区でキラー・カール・コックスボブ・アームストロングロン・フラーテリー・ゴディジャック・ルージョー・ジュニアらとサウスイースタン・ヘビー級王座を争った。1982年からはジム・クロケット・ジュニアの運営するノースカロライナNWAミッドアトランティック地区に進出。9月19日にジミー・バリアントを破りTV王座を獲得するが、不正があったとしてタイトルを剥奪された。翌1983年4月には同地区との提携ルートで全日本プロレスに来日。帰国後の4月30日、ディック・スレーターを十八番のランバージャック・デスマッチで葬り、TV王座に返り咲いた〔。
以降もフロリダ、アラバマ、テネシー、ジョージアジム・バーネット主宰のジョージア・チャンピオンシップ・レスリング)など南部エリアを転戦。古巣のフロリダでは1983年7月23日にスコット・マギー、9月18日にバリー・ウインダムを破り、1978年以来となるフロリダ・ヘビー級王座への戴冠を果たす。テネシーでは当初はベビーフェイスとして、ジェリー・ローラーと組んで1984年3月12日にイライジャ・アキーム&カリーム・モハメッドからAWA南部タッグ王座を奪取したが、1週間後にローラーを裏切ってタイトルは空位となり、以降はジミー・ハートマネージャーにローラーとの抗争を再開。同年5月26日にはテキサス州サンアントニオにてブルーザー・ブロディとも流血戦を演じた。
1985年は地元のモントリオールにおけるWWFの興行に出場し、トニー・アトラスS・D・ジョーンズと対戦。11月15日にはティト・サンタナが保持していたインターコンチンネンタル・ヘビー級王座に挑戦している。1986年ダラスWCCWに参戦してリック・ルードディンゴ・ウォリアーと共闘した。WWFには1988年にもザ・ヘッドバンガー(''The Headbanger'')と名乗って参戦しており、ハルク・ホーガンの主演映画 "No Holds Barred" にも出演した。1989年12月にはFMWに来日し、12月10日に後楽園ホールにてディック・マードックとの外国人同士のチェーン・デスマッチを行っている。1990年代もインディー団体へのスポット出場を続け、1992年にはジム・コルネットが主宰するスモーキー・マウンテン・レスリングに登場した。
1999年5月1日、肺感染症のため死去。。生涯最後の試合は1995年6月10日、テネシー州メンフィスのUSWA(かつて主戦場としていたCWAの後継団体)で行われたイベント "Memphis Memories II" における、フィル・ヒッカーソンと組んでの旧敵ジェリー・ローラー&ジミー・バリアント戦だった〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジョー・ルダック」の詳細全文を読む




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