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ジミー・ハート : ミニ英和和英辞書
ジミー・ハート[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジミー・ハート : ウィキペディア日本語版
ジミー・ハート[ちょうおん]

ジミー・ハートJimmy Hart、本名:James Ray Hart1944年1月1日 - )はアメリカ合衆国プロレスマネージャー作曲家歌手ミシシッピ州ジャクソン出身。ニックネームは「南部のおしゃべり男Mouth of the South)」。2005年WWE殿堂入り。
1980年代1990年代を代表するヒールマネージャーの一人で、コスチュームは原色の派手なスーツ、サングラスリーゼント。常に携帯しているメガホンは彼の代名詞となっている。元々は人気ロックバンドヴォーカリストだった。
== 来歴 ==
1963年ロックバンドザ・ジェントリーズThe Gentrys)」のメンバーとしてデビュー。最大のヒット曲『Keep on Dancing』では全米ビルボードチャート4位にランクインした。
テネシー州メンフィスの看板レスラーでプロモーターでもあったジェリー・ローラーにスカウトされ、1970年代に彼のマネージャーに転身。テネシーではローラーの他、若手時代のランディ・サベージやその弟ラニー・ポッフォリック・ルードオースチン・アイドルなどを担当した。
1980年代初めには、ローラーと対立し抗争を始める。ハートはアンディ・カウフマンを絡めた長い抗争により全国的な知名度を得た。ハートは「ファースト・ファミリー」と呼ばれるユニットを組んでローラーに対抗した。ジェリー・ローラーが「The King(王様)」であったのに対し、ハートのニックネームは「The Wimp弱虫)」であった。
1985年WWFに移籍し、まずはキングコング・バンディを担当。レッスルマニア第1回大会S・D・ジョーンズ戦は長きに渡ってレッスルマニア史上最短試合となっていた。その後はハート・ファウンデーションナスティ・ボーイズなどを始め、特にタッグチームのマネージメントを担当し、数多くのコンビをタッグ王者に導いた。テネシーでもマネージャーを務めていたハルク・ホーガンとも懇意になり、1990年代に入るとベビーフェイスのマネージャーに転向してホーガンとブルータス・ビーフケーキのタッグ、メガ・マニアックスも担当。1993年にはメガ・マニアックスのマネージャーとして新日本プロレスに2度来日している。また、元ミュージシャンの経歴を活かし、多くの選手の入場曲を作曲した〔。
ホーガンと時を同じくしてWWFを離れ、1994年に共にWCWへ移籍。リング外でもホーガンのマネージャーを務めるようになり、2001年のWCWの崩壊後は新団体XWFの旗揚げに参画した。程なくXWFは活動を停止したものの、その後はTNAに協力。一時期は彼のマネージメントで、WWEを離脱したホーガンのTNA登場が実現寸前となるも、2005年にはホーガンと共にWWE殿堂入りを果たすことになった。殿堂入り後もTNAでザ・ナチュラルズのマネージャーを担当するなど独自の立場を取り、近年もWWEとの関係を保ちながら、インディー団体やオールドタイマーのリユニオン・イベントへのスポット出場を続けている。
2007年4月1日のレッスルマニア23では、バックステージで行われたクライム・タイムのダンス・パーティーにカメオ出演2008年11月7日にはジェリー・ローラーのトリビュート・ショーに登場、メインイベントでローラーと対戦したシッド・ビシャスのマネージャー役を務めた。
2009年11月にはハルク・ホーガンがオーストラリアでプロデュースした "Hulkamania Tour" に参加。2010年上期はWWF時代の盟友ナスティ・ボーイズのマネージャーとしてTNAに再登場した。
2011年3月よりWWEのレッスルマニア関連のプロジェクトに参画し、各地のハウス・ショーにも登場。8月14日のサマースラム2011ではバックステージ・セグメントにてR・トゥルースと絡んだ。2012年4月10日には、ロディ・パイパーダスティ・ローデスらレジェンドと共にスマックダウンの "Blast from the Past" に出演。ウーソズと対戦したタイソン・キッド&ヒース・スレイターのマネージャー役で登場し、往年のメガホン口撃を見せるも、コメンテーターを務めていたミック・フォーリーマンディブル・クローの餌食となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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