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カール・フォン・ショッツ : ミニ英和和英辞書
カール・フォン・ショッツ[かー]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

カー : [かー]
 【名詞】 1. car 2. (n) car
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

カール・フォン・ショッツ : ウィキペディア日本語版
カール・フォン・ショッツ[かー]

カール・フォン・ショッツKarl Von Shotz、本名:John Anson1949年4月7日 - )は、カナダブリティッシュコロンビア州バンクーバー出身の元プロレスラー
太平洋岸北西部を主戦場に、ナチギミックドイツ人ヒールとして、クルト・フォン・ヘスとのタッグチームなどで活躍した。
== 来歴 ==
学生時代にアイスホッケーの選手として活動した後、1971年にプロレス入り〔(プロレス興行での初めての試合は1966年、17歳の時のカルガリーでのレッド・マクナルティ戦で、30秒で勝利を収めたという〔)。"ハンサム" ジョン・アンソンを名乗る二枚目のベビーフェイスとして〔、地元バンクーバーのNWAオールスター・レスリング(ASW)やカルガリーのスタンピード・レスリングなどを転戦した。
1972年モントリオールにてスキンヘッドナチス・ドイツヒールカール・フォン・ショッツに変身〔。カルガリーで対戦したクルト・フォン・ヘスのパートナーとなり、9月にジノ・ブリット&ジャック・ルージョーからモントリオール版のインターナショナル・タッグ王座を奪取する。アメリカデトロイト地区(ザ・シーク主宰のNWAビッグタイム・レスリング)にも進出し、ガイ・ミッチェル&ベン・ジャスティス、フレッド・カリー&トニー・マリノなどのチームを破り、デトロイト版のNWA世界タッグ王座を再三獲得した。
1974年5月、NWA北米タッグ王者チームとしてヘスと共に新日本プロレスに来日(当初はNWFの世界タッグ王者チームとして来日する予定だったという)。6月7日に札幌にてアントニオ猪木坂口征二の黄金コンビの挑戦を退けたが、帰米後の8月16日、ロサンゼルスにて猪木&坂口に敗れタイトルを明け渡す〔。以降、北米タッグ王座は新日本プロレスに定着することとなった。
その後、ヘスとのコンビを解消してシングルプレイヤーに転向し、1976年2月6日に古巣のカルガリーにてフラッグシップ・タイトルのスタンピード北米ヘビー級王座を獲得。アーチー・ゴルディーと王座を巡る抗争を展開し、金網の中に脚立を設置してベルトを争うケージ・ラダー・マッチでも雌雄を決した。
同年下期よりバンクーバーのASWに戻り、フェイスターンして本名のジョン・アンソン名義で活動。10月4日にはドン・レオ・ジョナサンと組んでビッグ・ジョン・クイン&キンジ渋谷からNWAカナディアン・タッグ王座を奪取。元パートナーのクルト・フォン・ヘスとも抗争した。ASWと提携していたアメリカ太平洋岸北西部のパシフィック・ノースウエスト・レスリング(PNW)にも参戦し、1977年8月7日にロン・バスと組んでムーンドッグ・メイン&レス・ソントンからNWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座を奪取している。
以降、1970年代後半はASWとPNWの両プロモーションに定着。状況に応じてベビーフェイスとヒールのポジションを使い分け、ジン・キニスキーダッチ・サベージブル・ラモスジミー・スヌーカアイアン・シークジェシー・ベンチュラムース・モロウスキージェリー・オーツマイク・シャープ・ジュニアなどと対戦した。ハワイのNWAミッドパシフィック・プロモーションズにも出場し、1978年3月にはジョン・トロスを破ってNWAハワイ・ヘビー級王座を獲得している。
1983年のハワイでの試合を最後に引退〔。その後、カナダのオンタリオおよびニューファンドランドにてザ・シークらとプロレス興行を手掛けたこともあった〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「カール・フォン・ショッツ」の詳細全文を読む




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