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坂口征二 : ミニ英和和英辞書
坂口征二[さかぐち せいじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さか]
 【名詞】 1. slope 2. hill 
: [くち]
 【名詞】 1. mouth 2. orifice 3. opening 
: [に]
  1. (num) two 

坂口征二 : ウィキペディア日本語版
坂口征二[さかぐち せいじ]

坂口 征二(さかぐち せいじ、1942年2月17日 - )は、日本の元プロレスラー柔道家(五段)。福岡県久留米市出身。世界の荒鷲と呼ばれた。
長男は格闘家・プロレスラーの坂口征夫、次男は俳優坂口憲二2005年にはホンダ・エアウェイブのCMで憲二と親子共演を果たしている。
== 来歴・人物 ==

=== 柔道時代 ===
久留米市立南筑高校卒業後、明治大学に進学。神永昭夫の指導を受ける。その長身を生かし、1964年東京オリンピック前には「仮想ヘーシンク」として、神永のスパーリング・パートナーを務めた。
明治大学卒業後旭化成工業(現・旭化成)に入社し、1965年全日本柔道選手権で優勝(当時の登録選手記録は身長194cm、体重108kg)。その年の世界柔道選手権大会に日本代表として出場した。
東京オリンピックで失った日本柔道の威信回復のため、アントン・ヘーシンクに対しパワーや体格でも引けをとらない日本の大型強豪選手のひとりとして、松永満男、松阪猛らとともに雪辱を期待されたが、世界選手権で終始ヘーシンクをパワーで圧倒した松永(銀メダル)とともに互角に戦いながらも今一歩のところまで追いつめながらの判定負け(銅メダル)となり雪辱はかなわなかった。なお、この日本人選手との大苦戦(1965年リオデジャネイロ大会)を経ての優勝以降、ヘーシンクは世界タイトルのかかった国際試合に出てくることはなかった。
しかし、1968年メキシコシティオリンピックに柔道競技が施行されないことを知り、ショックを受ける〔東京スポーツで2008年4月より連載中のコラム「格斗半世紀」による。〕。その翌年、1966年全日本柔道選手権で優勝を逃したこともあり、その後に日本プロレス関係者との会見でプロレス入りを誘われたため、プロレス入りを決意する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「坂口征二」の詳細全文を読む




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