翻訳と辞書
Words near each other
・ ブラック・ダイク・ミルズ・バンド
・ ブラック・ダイヤモンド
・ ブラック・ダイヤモンド (象)
・ ブラック・ダリア
・ ブラック・ダリア (プロレス)
・ ブラック・ダリア (映画)
・ ブラック・ダリア・マーダー
・ ブラック・ダリア事件
・ ブラック・ダーマン・トイ・モデル
・ ブラック・チューズデー
ブラック・テラー
・ ブラック・テリー
・ ブラック・デビル
・ ブラック・トム大爆発
・ ブラック・トライアングル
・ ブラック・トライアングル (歯科)
・ ブラック・ドッグ
・ ブラック・ドッグ (映画)
・ ブラック・ドロップ効果
・ ブラック・ナイト


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ブラック・テラー : ミニ英和和英辞書
ブラック・テラー[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

テラ : [てら]
 【名詞】 1. tera- 2. 10^12, (n) tera-/10^12
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ブラック・テラー ( リダイレクト:タンク・パットン ) : ウィキペディア日本語版
タンク・パットン[ちょうおん]

タンク・パットンTank Patton、本名:Douglas Goodwin McMichen1946年3月23日 - 1998年12月31日)は、アメリカ合衆国プロレスラーバージニア州スタントン出身〔。生年は1949年ともされる〔『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P74(2002年、日本スポーツ出版社)〕。
鉄兜を被ったコンバット・スタイルの巨漢ヒールとして、NWAの各テリトリーで活躍した。日本での主戦場だった全日本プロレスでは、覆面レスラーブラック・テラーThe Black Terror)に変身したこともある。
== 来歴 ==
学生時代はアメリカンフットボールで活躍〔。スコット・ケーシーのスカウトでプロレス入りし〔、ビッグ・マックリングネームフロリダジョージアミッドアトランティックなどを転戦〔。1974年テネシー州メンフィスのNWAミッドアメリカ地区(後のCWA)にてダグ・パットンの名前で活動した後、ジョージ・パットンの率いたアメリカ戦車部隊にあやかったタンク・パットンをリングネームに〔、ザ・ファンクスが主宰していたテキサス州アマリロのNWAウエスタン・ステーツ地区に登場。
1976年8月、同地区からのブッキングで全日本プロレスの『ブラックパワー・シリーズ』に初来日。シリーズのエース格ボボ・ブラジルのパートナーに起用され、8月26日に札幌中島スポーツセンターにてジャイアント馬場&ジャンボ鶴田インターナショナル・タッグ王座に挑戦した。このシリーズでは、同じくアマリロから初来日したテッド・デビアスと組んで、グレート小鹿&大熊元司極道コンビが保持していたアジア・タッグ王座にも挑んでいる〔。帰国後の11月には主戦場のウエスタン・ステーツ地区にて、テリー・ファンクNWA世界ヘビー級王座に連続挑戦した。
1977年ロサンゼルスNWAハリウッド・レスリングにて、チャボ・ゲレロビクター・リベラザ・ハングマンロディ・パイパーキース・フランクスらと抗争。1978年は4月から6月にかけてWWWFを短期間サーキット、当時アメリカに遠征していたストロング小林とも共闘し、4月25日にフィラデルフィアにて、ミル・マスカラスヘイスタック・カルホーンラリー・ズビスコのチームと6人タッグマッチで対戦。5月30日にはスクラントンにてブッチャー・バションをパートナーに、当時のWWWF世界タッグ王者ディノ・ブラボー&ドミニク・デヌーチに挑戦した。同年下期は中西部NWAセントラル・ステーツ地区に参戦、ジェシー・ベンチュラとのコンビで9月14日にロン・スター&トム・アンドリュースからNWA世界タッグ王座を奪取している。
この間、全日本プロレスには1977年8月の再来日を経て、1978年3月に覆面レスラーブラック・テラーに変身して『チャンピオン・カーニバル』の第6回大会に出場。開幕戦の入場式においてアブドーラ・ザ・ブッチャーに喧嘩を売り、同日に行われたブッチャーとの公式リーグ戦では両者リングアウトの引き分けに持ち込むなど〔、「リーグ戦荒らし」としての活躍を見せた〔『ゴング』1978年5月号P120-123「第6回チャンピオン・カーニバル総評」(1978年、日本スポーツ出版社)〕。ブラック・テラー名義では1980年5月にも全日本プロレスに参戦し、ザ・デストロイヤーとの覆面レスラー同士の対立アングルも組まれた(同時期、素顔のタンク・パットンとして国際プロレスへの参加も予定されていた)。
1981年にはテキサス州サンアントニオのSCW(サウスウエスト・チャンピオンシップ・レスリング)に参戦、4月24日にタイガー・コンウェイ・ジュニアを破り、同団体認定のブラスナックル王座の初代チャンピオンとなった。SCWではタリー・ブランチャードバック・ロブレイケン・パテラなどと共闘し、ブルーザー・ブロディワフー・マクダニエルボビー・ダンカンドリー・ファンク・ジュニアイワン・プトスキーマニー・フェルナンデスらと対戦。以後、1980年代前半はデビュー当時と同じビッグ・マックの名義でNWAミッドアトランティック地区に出場していた〔。
1998年12月31日のため死去〔。。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「タンク・パットン」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.