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リングネーム : ミニ英和和英辞書
リングネーム[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

リングネーム : ウィキペディア日本語版
リングネーム[ちょうおん]

リングネーム (ring name) とは、格闘家プロボクサープロレスラーキックボクサーK-1ファイター、総合格闘技選手)がリングに上がる際を中心に、選手活動・リング外での活動を通じて用いる登録名である。
== プロボクサー ==
日本ボクシングコミッション(JBC)では、2単語以上を組み合わせたもののみリングネームとして規定している。例として「辰巳八郎」「ベンケイ藤倉」「龍反町」「牛若丸原田」などである。なお、単語数の上限はないため、「池原シーサー久美子」なども見られる。
JBCが2008年の女子ボクシング解禁の際、それまで(「一国一コミッション」の原則を守る為、JBCに合流する形で発展的に解消した)日本女子ボクシング協会において1単語のリングネームを使用していた選手が存在していた。そのため彼女ら上記の規定に伴いリングネーム変更を余儀なくされ、ライカ→風神ライカのように別の単語、あるいはSAKURA→大内さくらのように本名の苗字を冠するか、アヤカ→宮尾綾香のように本名に戻すなどの対処が行われた。
リングネームはプロテスト合格直後に初のボクサーライセンス申請書提出の際にリングネーム記入欄に記載、それ以外の場合もJBCにリングネーム変更届として提出し、認められれば使用できる(ただし、アルファベットや数字は認めていない。本人確認書類として住民票戸籍の提出が義務付けられている為、本名隠す事は不可能)。基本的に所属するボクシングジムにより選手のイメージから名づけられる。
ただし、JBCからボクサーライセンス発給受ける日本国籍有する選手に関しては戸籍上の姓名(本名)でリングに上がり現役時代の副業やボクサー引退後の活動でも本名で通すケースが大半である。
日本国籍有する選手の本名以外のリングネームで最も多いケースは外来語と本名の姓を組み合わせたパターンである。日本ボクシングの父渡辺勇次郎の「ヤング・ワタナベ」にはじまり「ファイティング原田」などで、ほかに外来語と本名の下の名前を組み合わせたケースとして「アポロ嘉男」「パブリック彰彦」「スピーデー章」などがある。ただし、現在は「ファイティング」は原田の偉大な功績を称えJBCで欠名扱いで、現役選手が名乗る事は不可能になっている。
外来語を用いたものは元々、堀口恒男がキャッチフレーズであった「ピストン」と合わせて「ピストン・堀口恒男」からやがて「ピストン堀口」として定着したのが始まりとされており、その後も広く使われている。特に国際ジムにおいてはロイヤル小林ジャッカル丸山クラッシャー三浦レパード玉熊セレス小林トラッシュ中沼など、日本ランカー以上の選手に対して適用するのが慣例となっている。
同じ読み方で表記を変更するケースも多い。新日本木村ジムでは戸籍名より強いイメージを与え縁起を担いで読み方同じで小熊正二→大熊正二、赤木武幸→赤城武幸、日高和彦→飛天かずひこと表記を変更している。また、ヨネクラジムでは会長夫人の姓名判断で松本弘司→松本好二や西澤良徳→西澤ヨシノリ、その米倉健司会長は本名は米倉健治で現役時代は米倉健志とした。さらに同様のケースに宇野直→宇野スナオ(岐阜ヨコゼキ→薬師寺)、角田紀子→つのだのりこ(具志堅)、三迫正廣→三迫将弘三迫)、新田渉世→新田勝世(金子)、金井晶聡→金井アキノリ真正)、磯上修一→磯上秀一トクホン真闘)、長嶋健吾→長嶋建吾(18古河)、高橋直人→高橋ナオトアベ)、河合丈也→河合丈矢カワイ)、川嵜竜希→川崎タツキ草加有沢)、島袋忠司→島袋忠(石川)、小宮山克己→小宮山カツミハラダ)、吉田健司→吉田拳畤ワタナベ)、小林孝康→小林タカヤス川島)、平仲信明沖縄)が一時期名乗った平仲伸章、福島学花形)が一時期名乗った福島仕など。一方、本名の表記を読みやすい漢字に変えたリングネームも存在する(多田悦子など)。変わった事例として輪島公一は試合の時にリングアナウンサーに「わじま・はむいち」と誤読されたことがキッカケで輪島功一に変更している。
また刑事事件を起こし謹慎を経て復帰するごとにリングネームを変更する者もいる、田中敏之→田中健友(ヨネクラ)→五代登(トーアファイティングに移籍)、田中潤→将生潤(ワタナベ)。
これ以外に、姓はそのままで名前だけ変えたもの(ガッツ石松もデビュー当初は本名の鈴木有二で後に鈴木石松に変更、前出の平仲信明が世界タイトル獲得時には平仲明信、露崎元弥→露崎弥太郎、片岡昭雄→片岡昇、鬼塚隆→鬼塚勝也松村謙二→松村謙一、打越秀樹→打越昌弘、桑田弘→桑田義弘、大山悦→大山鋭士、門田新一→門田恭明など)、本名を組み入れないもの(牛若丸あきべぇ<あきべぇは幼少時の綽名>)、出生地の愛称と名前の音を漢字変換したもの(浜崎隆司→鬼ヶ島竜<出生地が香川県高松市女木町>)、姓を変え名は表記を変えたもの(高山孝四郎→阿部幸四郎、佐藤晃→大雅アキラ<全日本新人王決定戦優勝直後の試合から>)、姓名順を逆にして名前の読み方や表記を変えたもの(シゲ福山マサ伊藤真教杉田キンジ天野コウジ有沢カズ有沢岳たかはし大之伸くまなど)、姓を変え名は字も読みも戸籍と一致させたもの(竹下鉄美→松島鉄美、瀬川設男→川益設男、上田成人→大谷成人、坂本幹男→安田幹男。瀬川は初の日本タイトル獲得や長期ブランク明け以降は本名で、上田はプロ2戦目以降は再び本名)、佐藤仁徳の様に姓名表記は一緒ながら名前の読み方変更(さとう・まさのり→さとう・じんとく)も見られる。
大相撲四股名と違い、リングネームの襲名は基本的にしない。数少ない例としてウィリアム・ハリソン・デンプシージャック・デンプシーにあやかって同じリングネームにしている。ただし、引退したり改名により使用されなくなったリングネームの一部を拝借する形で名乗るケースは存在する。内藤純一がモハメド・アリの改宗以前の旧名であるカシアス・クレイにあやかったカシアス内藤、小野寺正明がオサムジムの先輩西島洋介の旧リングネームである西島洋介山にあやかった小野寺洋介山大場政夫(本名)に憧れる木下貴志が大場政夫を育てた帝拳プロモーション経営者長野ハル及び本田明彦の許可を得て改めた大場貴志(所属は姫路木下、戸籍上は変更せず引退後は再び木下貴志)、大場政夫のライバル花形進(本名)が弟子・田中冴美に与えた花形冴美、間所俊晴が自身の担当トレーナー須田芳黄が現役時代に名乗った三船豪から取った三船元などがそれに当たる。米国でもシュガー・レイ・ロビンソンから取ったシュガー・レイ・レナードなどの例が存在する。
桑田勇は戸籍上は桒原勇で、リングネームと本名を一致させる事を検討したが断念、その桑田の愛弟子たる世界チャンピオン浜田剛史(旧名は読み方同じで浜田剛)はリングネームと本名を一致させた。一方、(資産家令嬢と結婚し婿養子となった)上原康恒・(幼い頃両親が離婚し現役中に実父に勘当され実母と和睦した)三谷大和はデビューから本名をリングネームとして使用し戸籍上が遠藤康恒・松岡大和に改姓後も従来のリングネームを使い続け引退後の活動上の通称にも用いた。
日本のジムの所属する外国人選手は、日本人風のリングネームがつけられることが多い。タイ国出身のパニアン・プーンタラット→パニアン奥田、八王子中屋ジムが米国出身者に与えたユージニオ・ゴメス→雄二・ゴメスやチャールズ・ベラミー→チャーリー太田ハワイ出身日系人のポール・タケシ・フジイ→藤猛、八戸帝拳ジムが米軍三沢基地に勤務する選手に対して与えたフレデリック・ロバーツ→リック吉村やマーク・ブルックス→マーク堀越在日コリアンでは通名を使用した洪昌守→徳山昌守や裵在樹→武本在樹や慎鏞旭→大東旭、日常生活でも通名使用せず本名のままのリングネーム李冽理、通名でない金啓徳→千里馬啓徳やその愛弟子朴泰一→帝里木下(ただし自身が生まれ育った韓国でプロデビューした李東春・林在新は西日本のジムに移籍してグレート金山・林小太郎を名乗り、林は前出鬼塚に日本武道館での挑戦時は中継するTBSの要望で再び本名、自身が生まれ育った北朝鮮でプロデビュー崔鉄洙が通算4戦目後楽園ホールで日本国内における初の試合の際は本名をリングネームにした)、ケニア出身のフィリップ・ワルインゲ→ワルインゲ中山メキシコ出身のヘルマン・トーレス→協栄トーレス・大関トーレスやミゲル・アンヘル・ゴンザレス→東京三太やロベルト・ラミレス→仙台ラミレスやロベルト・アルレドンド→チバ・アルレドンドジョー小泉(小山義弘)とのマネジメント契約締結により改名したフィリピン出身のルイシト・エスピノサ→ルイシト小泉やジョマ・ガンボア→ガンボア小泉、フィリピンからの輸入選手では他にロリー・ルナス→ロリー松下やノリト・カバト→スズキ・カバト、旧ソビエト連邦ペレストロイカ路線や日本の参議院議員アントニオ猪木の尽力によってトップアマからプロ入り果たしたユーリ・アルバチャコフやオルズベック・ナザロフが一時期ユーリ海老原(協栄ジムの先輩海老原博幸にあやかる。ただし、その先輩も本名は松田博幸)やグッシー・ナザロフ(協栄ジムの先輩・具志堅用高<本名>より)を名乗っていたのは、その一例である。だがユーリの場合、海老原がロシア語で卑猥な意味の単語「エビ」を連想させる為本人の希望で本名に戻し、さらにマネージャーマック金平が公募し新リングネーム「勇利アルバチャコフ」に変更された。また、オケロ・ピーター(ピーター・オケロ)のように日本人同様姓名順にした例もある。タイ国出身のイーグル・デーン・ジュンラパンはスポンサー京和建物からイーグル京和。台湾(中華民国)出身の林明佳やパキスタン出身のフセイン・シャーの場合は所属先(ロッキー、角海老宝石)の名称に合わせロッキー・リンやフセイン角海老とし、モンゴル出身のラクバ・シンは韓国を拠点としたプロボクサー時代は来日時も本名で横浜さくらボクシングジム所属選手としてラクバ拳士と名乗った。
逆に外国を拠点に活動する日本人選手が日本で試合をする際に外国人風のリングネームを名乗る場合もある。メキシコを拠点とする亀田和毅がかつて名乗った「トモキ・エルメヒカニート・カメダ」、韓国を拠点とした木村隼人が名乗った「柳準人(ユ・ジュニン、Joon in You)」。池田高雄→池田タカオがタイを拠点にした際の「タカオ・チュワタナ」。
JBCルールでは他のプロスポーツや別の格闘技との兼業を禁じているため、他の格闘技から転向した者は上述の規程より前職時代とは別の名をリングネームにする場合が多いが、前職時代と同じリングネーム用いる者もいる(前者には大相撲力士だった郷の山→赤坂義昭、プロレスラーだったZEUS→ゼウス金谷、K-1ファイターから転向した京太郎→藤本京太郎、キックボクサーだったタイソン岡本→岡本泰治の例。後者にはキックボクサーだった田島吉秋須藤信充<本名>や土屋ジョー<本名は異なる>)。
タイではリングネームは選手の所属するジムの名前がつけられたり、スポンサーについた会社や商品名がつけられたりすることがある。サマン・ソーチャトロンウィラポン・ナコンルアンプロモーション。また、デンカオセーン・カオウィチットのように試合のプロモーターが変わる度にリングネームが変わる選手もいる。
プロボクサー時代は本名と同じリングネームで活動しながら引退後に本名と違う芸名でタレント活動する者、プロボクサー時代は本名と異なるリングネームで活動し引退後に本名ともリングネームとも異なる芸名でタレント活動する者もいる(前者が斎藤清作→たこ八郎、浜伸二→島木譲二、北村雅英→トミーズ雅佐藤修→蓮ハルク(俳優活動のみ)。後者が城アキラ→ジョー山中)。一方で、芸能活動と並行する者においても、本名をリングネームとしてそれと異なる芸名を使用する場合もある(高野人母美のTOMOMI、榑井勇輝のKUREI、松本亮のRYO(モデル活動のみ))。
アマチュアボクシングでは本名で選手登録し旧本名以外のリングネームは認められない(日本アマチュアボクシング連盟認可前の女子アマチュアボクシングでは真保輝子が一時名乗った「ハリケーン・輝」など一部リングネームも存在した。山崎静代も本名である)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「リングネーム」の詳細全文を読む




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