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大熊元司 : ミニ英和和英辞書
大熊元司[おおくま もとし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [くま]
 【名詞】 1. bear (animal) 
: [げん, もと, がん]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 4. (2) former 

大熊元司 : ウィキペディア日本語版
大熊元司[おおくま もとし]

大熊 元司(おおくま もとし、本名同じ、1941年12月18日 - 1992年12月27日)は、日本のプロレスラーおよび大相撲力士埼玉県草加市出身。
大相撲時代は崎錦(さきにしき)の四股名伊勢ヶ濱部屋に所属、最高位は幕下93枚目。プロレス転向後は中堅のラフファイターとして活躍した。愛称は「クマさん」。
== 来歴 ==
中学校卒業後に大相撲の伊勢ヶ浜部屋に入門し、1957年5月場所に大熊の四股名で初土俵を踏んだ。1958年11月場所から四股名を崎錦と改名したが伸び悩み、1962年5月場所限りで廃業した。大相撲を廃業後すぐの同年5月に日本プロレスに入門し、6月5日に名古屋市金山体育館において、北沢幹之を相手にデビューを果たす〔『THE WRESTLER BEST 1000』P257(1996年、日本スポーツ出版社)〕。リング外ではジャイアント馬場付き人2代目となった(初代はマシオ駒)。当初は豊登の命名により、大熊熊五郎リングネームだったが、読売ジャイアンツの同名選手・藤田元司の活躍をきっかけに本名に戻している(大熊は全選手の背番号を言い当てるほどの大の巨人ファンだった)。
1965年11月28日、韓国で開催された5カ国親善プロレス試合にて張永哲(チャン・ヨンチョル)と対戦したが、勝敗の取り決めを破り「通常のプロレスではあり得ないほど強い力」での腰への関節技(逆エビ固め)をかけたところ、張の弟子10人が乱入して大熊を殴打するという「大熊リンチ事件」が起こった〔『完本 1976年のアントニオ猪木 』P289-292(2009年、文藝春秋、ISBN 4167753650)〕。この事件には警察の捜査が入り、刑事告訴を恐れた張側が、プロレスには脚本があり、それを相手側が破ったことが発端であったと訴えたが、そのことが公に暴露されて韓国でのプロレス人気低下の一因となった〔〔。
1967年下期、グレート小鹿とともに海外修行でアメリカに渡り、南部テネシーおよびジョージア地区でコンビを組んで活動。テネシーでは同年10月に同地区版のNWA世界タッグ王座を獲得したが、ホームシックのため体重が大幅に減少し、翌1968年に単独で帰国している。その後、1971年に再渡米し、フロリダを経てテキサス州アマリロ地区にてマシオ駒とのタッグで活動。11月25日にNWAウエスタン・ステーツ・タッグ王座を獲得し、翌年7月にかけてリッキー・ロメロ&ロード・アル・ヘイズディック・マードック&ボビー・ダンカンなどのチームとタイトルを争った。
アメリカ遠征から帰国後の1972年8月、マシオ駒とともに日本プロレスを離脱してジャイアント馬場の新団体全日本プロレスに移籍。10月21日の旗揚げ前夜祭ではフレッド・ブラッシーから反則勝ちを収め、翌22日の旗揚げ第1戦では駒とのコンビでセミファイナルに出場し、ブラッシー&ダッチ・サベージを下した。1974年にはカナダマリタイム地区に遠征し、グレート・クマ(''Great Kuma'')のリングネームで活動。5月にレオ・バーク、6月にザ・ビーストを破り、同地区のフラッグシップ・タイトルだった北米ヘビー級王座を2回獲得している。
全日本プロレスではグレート小鹿との「極道コンビ」を復活させ、アンダーカードのタッグ戦線において活動。アジアタッグ王座を4度獲得し、1976年から1981年にかけて王者チームとして活躍した。1984年ジャパンプロレスが参戦した際も、やられ役となることが多いながらも、長州力らを相手に果敢なファイトを見せた。現役晩年は永源遙渕正信らと「悪役商会」を結成し、ジャイアント馬場やラッシャー木村ファミリー軍団と明るく楽しいプロレスを展開。「グリコポーズ」はおなじみのアピールだった。
1992年12月27日、現役のまま急性腎不全で死去〔。。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大熊元司」の詳細全文を読む




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