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大熊信行 : ミニ英和和英辞書
大熊信行[おおくま のぶゆき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [くま]
 【名詞】 1. bear (animal) 
: [まこと, しん]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 
: [くだり, ぎょう]
 【名詞】 1. (1) line 2. row 3. (2) verse 

大熊信行 : ウィキペディア日本語版
大熊信行[おおくま のぶゆき]
大熊 信行(おおくま のぶゆき、1893年2月18日 - 1977年6月20日)は、経済学者評論家歌人福田徳三門下。

== 経歴 ==
山形県米沢市元籠町生まれ。旧制米沢興譲館中学校(現山形県立米沢興譲館高等学校)を経て1916年東京高等商業学校(現一橋大学)卒。
1916年日清製粉入社。米沢商業学校で教鞭をとった後、1919年東京高等商業学校専攻部進学、1921年同卒。1941年経済学博士東京帝国大学)。論文の題は「経済理論における配分原理の所在並に適用に関する基礎的研究」〔博士論文書誌データベースによる〕。
1921年小樽高等商業学校(現小樽商科大学)講師、1922年同教授、1923年病気で同校を退職。1927年高岡高等商業学校(現富山大学経済学部)教授、1929年から1931年まで文部省在外研究員として、イギリスドイツアメリカ合衆国に留学。戦時期は「政治経済学」の構築を唱道、1942年高岡高商を退職し海軍省大臣官房調査課嘱託、1943年大日本言論報国会理事。
小樽高商で小林多喜二伊藤整、高岡高商で篠原三代平などを教えた。
歌人としては、旧制中学時代に石川啄木の影響で作歌を始め、土岐哀果の「生活と芸術」や反アララギの砦となった「日光」に短歌を発表。1927年に「香円(まるめら)」を創刊して主宰となり、「まるめら調」と呼ばれるようになる口語自由律短歌を世に送り出した。歌人としての活動は高く評価されていたが、出版された歌集は没後刊行の全歌集『母の手』のみである。
1946年山形県地方労働委員会初代会長。1947年公職追放を受けるが、追放解除後1952年神奈川大学教授、1953年富山大学経済学部長、1965年神奈川大第二経済学部長、1971年創価大学教授を歴任。また論壇でも活躍。1977年劇症肝炎のため米沢市で死去。
大熊信行研究会が運営されており、年に1回、東京で集会を開いている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大熊信行」の詳細全文を読む




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