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ジョージ・スティール : ミニ英和和英辞書
ジョージ・スティール[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジョージ・スティール : ウィキペディア日本語版
ジョージ・スティール[ちょうおん]

ジョージ・スティールGeorge "The Animal" Steele、本名:William James Myers1937年4月16日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラーミシガン州デトロイト出身。
ジ・アニマルの異名通り、スキンヘッドに全身剛毛の狂獣系ヒールとして一時代を築いた怪奇派レスラーの大御所である。1980年代中盤からはWWFでコミカルなベビーフェイスに転向し、子供たちの人気を集めた。
日本では「ジョージ・スチール」と表記されていたが、本項では原音に近い表記を使用する。
== 来歴 ==
ミシガン州立大学を卒業後、ミシガン州マディソンハイツで高等学校の体育教師をしていた。教職に就く一方、地元デトロイト地区のプロモーターだったバート・ルビーに師事し、1962年にプロレスラーとしてデビューする。当時は教員を続けながら学校の休暇時にリングに上がり、素性を隠すために覆面レスラーザ・ステューデントとして試合を行っていた。
その後、覆面を脱いで狂乱ファイターのジョージ "ジ・アニマル" スティールに変身。ハイスクールでアメリカンフットボールレスリングの非常勤コーチを務めつつ、本格的にプロレスに注力するようになる。1967年からはWWWFに進出。翌1968年5月20日には、ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンにてブルーノ・サンマルチノWWWF世界ヘビー級王座に挑戦している。
以降、1980年代初頭までデトロイトのNWAビッグタイム・レスリングとWWWF(WWF)を主戦場に、両テリトリーを股にかけて活躍した。本拠地デトロイトではザ・シークボボ・ブラジルと遺恨試合を繰り広げ、1980年5月3日にはフランキー・レインと組んでNWA世界タッグ王座を獲得。ニューヨークではゴリラ・モンスーンチーフ・ジェイ・ストロンボーと抗争し、ペドロ・モラレス、サンマルチノ、ボブ・バックランドら歴代王者にも再三挑戦した。
この間、日本には1971年7月に日本プロレス1974年7月に全日本プロレス1979年6月に新日本プロレスに来日している。ジャイアント馬場アントニオ猪木ともシングルマッチで対戦したが、直線的で単調な試合スタイルが日本では受け入れられず、実績を残すことはできなかった〔『プロレスアルバム16 THE HEEL』P4、P49(1981年、恒文社)〕。なお、WWFでは1981年キラー・カーンタッグチームを組んだことがある。
1984年ビンス・マクマホン・ジュニアの新体制下で全米侵攻を進めていたWWFと再契約。ミスター・フジマネージャーに迎え、かつてと同様ヒールのポジションでWWF世界王者ハルク・ホーガンに挑戦したが、1985年5月10日収録のサタデー・ナイト・メイン・イベントでの6人タッグマッチにおいて、悪党仲間のアイアン・シーク&ニコライ・ボルコフと仲間割れ。これを機にベビーフェイスに転向し、異色の人気者となる。1986年からはランディ・サベージとの抗争がスタートし、サベージのマネージャーだったミス・エリザベスに恋をするという美女と野獣アングルも組まれた。1988年には "Mine" なるハンドパペットを「友人」として帯同するなど、後のマンカインドとミスター・ソッコのギミックの先駆的存在ともなった。
その後もWWFの前座戦線で活躍していたが、1988年クローン病を患い引退。リタイア後は、その特異なキャラクターを活かし俳優業にも進出、1994年公開の映画エド・ウッド』(ティム・バートン監督、ジョニー・デップ主演)では、同じく元プロレスラーの俳優トー・ジョンソンTor Johnson)の役を演じた。風貌が似ていることから、スティールはレスラー時代にジョンソンと間違えられることが度々あったという。
1995年WWE殿堂に迎えられ、1997年12月29日にはTAKAみちのくのパートナーとして『Raw is War』に出場(ジェリー・ローラー&ブライアン・クリストファーと対戦)。翌1998年末からはベビーフェイスの怪物軍団ジ・オディティーズクルガンゴルガジャイアント・シルバ)のマネージャー役となってアティテュード期のWWFに復帰した。
2000年1月10日にはWCWの『マンデー・ナイトロ』でジェフ・ジャレットと対戦。特別レフェリーのクリス・ベノワおよびオールド・エイジ・アウトローズ(アーン・アンダーソンラリー・ズビスコポール・オーンドーフテリー・ファンク)のフォローを受けて勝利を飾っている。以降もインディー団体へのスポット出場を続け、2008年6月8日にはジェイク・ロバーツカマラココ・B・ウェアと共にTNAPPV "Slammiversary" に登場。ジェイ・リーサルソウ・カル・バルのウェディング・セレモニー(かつてWWFで行われたランディ・サベージとエリザベスの結婚式のパロディ)に出席した。
2010年11月15日、"Old School edition" と銘打って行われたスペシャル版のWWERaw』に出演、コフィ・キングストンデビッド・オタンガ戦に乱入し、往年の"Big Bite"(ターンバックルの噛み破り)を見せた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジョージ・スティール」の詳細全文を読む




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