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ジョージ・ステイシー・デイヴィス : ミニ英和和英辞書
ジョージ・ステイシー・デイヴィス[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジョージ・ステイシー・デイヴィス ( リダイレクト:ジョージ・デイヴィス (内野手) ) : ウィキペディア日本語版
ジョージ・デイヴィス (内野手)[ちょうおん]

ジョージ・ステーシー・デービス(George Stacey Davis, 1870年8月23日 - 1940年10月17日)は、1890~1900年代に活躍したアメリカメジャーリーグの選手。主なポジションは遊撃手ニューヨーク州生まれ。右投げ、スイッチヒッター
== 経歴 ==
1890年にクリーブランド・スパイダーズに入団。クリーブランドでは最初外野を守っていたが、1892年以降は内野に転向する。1893年に、バック・ユーイングとの交換トレードでニューヨーク・ジャイアンツに移籍。同年、投手-本塁間の距離を50フィートから60フィート6インチにするルール改訂があり、デービスはその恩恵を受けることになる。それまで2割6分程度だった打率は、この年に.355にまで跳ね上がり、以後9年続けて打率3割を挙げる。また1893年の6月14日のゲームでは、1イニングス7塁打(本塁打と三塁打)を放つという記録も打ち立てた。
1895年と1900年、1901年にはニューヨーク・ジャイアンツの選手兼任監督をつとめた。1900年4月26日、球場近くで大きな火災があった際、彼はチームメートと共に人命救助を手伝い、顔に水ぶくれができたまま夕方の試合に出場したというエピソードも残っている。
1902年にホワイトソックスに移籍。1906年にチームはアメリカンリーグを制覇、同年のワールドシリーズで6打点を上げ、この年のチーム打率が.230しかなく、「ヒットレス・ワンダー」と呼ばれたチームをワールドシリーズ制覇に導いた。
1909年に現役を引退。引退後、彼はプロボウラーや自動車のセールスマンなどをしていた。1940年にフィラデルフィアで亡くなったが、没年については1968年まで判らなかった。1998年にベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジョージ・デイヴィス (内野手)」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 George Davis (baseball) 」があります。




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