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TAKAみちのく : ミニ英和和英辞書
TAKAみちのく[たかみちのく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


TAKAみちのく : ウィキペディア日本語版
TAKAみちのく[たかみちのく]

TAKAみちのく(たかみちのく、1973年10月26日 - )は、千葉県四街道市出身の、日本男性プロレスラーKAIENTAI DOJO所属。有限会社かいえんたいどうじょう代表取締役社長を務める。
KAIENTAI DOJO選手兼代表として活躍、また新日本プロレスにも参戦。軍団のプロデュース能力、WWEで培われたマイクパフォーマンスの上手さ、そしてプロレスセンスと三拍子揃っている。
== 来歴 ==
小学校途中までは千葉県で過ごし、石川県金沢市へ転居。その後岩手県盛岡市へと転居し、盛岡市にて過ごす。岩手県立盛岡工業高等学校時代はレスリングを行っていた。その後、ユニバーサル・プロレスリングに入団した。
入門3か月後の1992年9月4日に行なわれた後楽園ホール興行で、スペル・ティグリートを相手にプロレスデビューを果たす。リングネームは、ユニバーサル・プロレスリングの先輩であり、同郷でもあるザ・グレート・サスケの若手時代のリングネーム「MASAみちのく」を引き継いだもの。
1993年みちのくプロレス旗揚げと共に移籍。三度笠スタイルでの入場を始める。
1994年4月に新日本プロレスで開催されたスーパーJカップでの活躍により、一気に知名度が向上し、6月に同じく新日本プロレスで開催されたベスト・オブ・ザ・スーパージュニアに参加した。
1997年4月27日パンクラスに参戦し山宮恵一郎と対戦。みちのくプロレスを退団し、メキシコを主戦場に活動する。その間にECWの興行にも参戦しアメリカデビューを果たした。それからしばらくして、WWFへの移籍がほぼ決まっていたグレート・サスケのテスト試合の対戦相手として呼ばれる。その試合でビンス・マクマホンがTAKAの方を気に入ってしまい、WWF(現:WWE)と契約することになる。なお、このことでサスケは横取りされたと激怒し、しばらく2人の仲に亀裂が生じていたが後に和解。WWEでは(復活版)初代ライトヘビー級チャンピオンとなり、巨体を生かしたパワーレスリング中心のWWEにおいて、スピード感溢れるレスリングを展開して注目された。1998年には年間最大の祭典レッスルマニアXIVに日本人レスラーとしてシングルで初出場(現在においてもこの大会にシングルで出場した日本人レスラーは彼のみである)。アギラとライトヘビー級王座を賭け勝利している。また、フナキとのタッグチームカイエンタイでは、英語でマイクアピールが出来ないという欠点を逆手に取り、映画の吹き替えのように「口と声が合っていない」マイクアピールを行い、不思議な人気を獲得した。この頃、カイエンタイのTシャツが売り上げNo.1になったこともある。また、WWF所属中にみちのくプロレスが経営危機に陥った際に急遽参戦を行ってもいた。
2000年プエルトリコにKAIENTAI DOJOを設立し、生徒を募集する。
2002年、WWFの日本興行出演(フナキのセコンド)を最後にWWFを離脱した。千葉県にKAIENTAI DOJOを設立し、4月20日ディファ有明にて旗揚げ戦を行った。7月よりプロレスリングZERO-ONE火祭りへ参戦(当初、大谷晋二郎はTAKAの参戦に慎重な姿勢であった)、優勝候補の田中将斗から白星を挙げた。
2003年全日本プロレス武藤敬司体制になって以降、請われて全日本に参戦するようになり、外国人レスラー軍団「RO&D」を団体内の一大勢力として纏め上げた。また、巧みな話術を生かし、興行スタート時の前説(RO&Dタイム)も務めていた。
2004年10月24日、プロレスリング・ノアに参戦し、金丸義信GHCジュニアヘビー級王座に挑戦した。
2005年1月5日、全日本の世界ジュニアヘビー級王座を獲得、さらに1月10日KAIENTAI DOJOのCHAMPION OF STRONGEST-Kを獲得する。全日本の世界ジュニアヘビー級王座、KAIENTAI-DOJOのCHAMPION OF STRONGEST-K、みちのくプロレスの東北ジュニアヘビー級王座の三冠王となった。また、7月3日にDRAGON GATEに参戦、望月成晃オープン・ザ・ドリームゲート王座に挑戦した。12月9日に開催されたインディーサミットにも出場した。
2006年、RO&Dの活動はVOODOO-MURDERSとの解散マッチに敗れたため終了。6月4日、TOMOみちのくとのタッグでWEWハードコアタッグ王座を獲得。12月31日に開催されたインディーサミットのマッチメイカー兼選手として出場した。
2007年2月、カズ・ハヤシらとメキシコに遠征するはずだったが、車上荒らしによりパスポートを紛失したため、日本に残った。全日本プロレスの3月シリーズより贋メキシカン・トリオ「メキシコ・アミーゴス」のリーダー、ペペみちのくとして登場(他のメンバーはカズ・ハヤシ扮するミゲル・ハヤシJrとNOSAWA論外扮するエル・ノサワ・メンドーサ)。偽物感溢れるメキシカンテイストで人気を博した。一方、プロレスリング・ノアの4月シリーズにおいて、一度袂を別ったブキャナンディーロ・ブラウンと再度組んでRO&Dを復活させた。2007年5月2日新日本後楽園大会で、ディック東郷とのタッグでIWGPジュニアタッグ王座を奪取した。8月12日KAIENTAI DOJO 後楽園大会でSTRONGEST-Kトーナメント初優勝。
2007年12月、結婚したことを自身のブログで発表した。
2011年1月30日、新日本の後楽園大会にNOSAWA論外と共に突如姿を現した。そこで、IWGPジュニアヘビー級王座とIWGPジュニアタッグ王座へ挑戦表明をした。
小島聡、MVP、タイチ、NOSAWAらと共に小島軍(仮)を結成した。
2011年2月20日、宮城県仙台サンプラザホールにてプリンス・デヴィットの持つIWGPジュニアヘビー級王座に挑戦。ラ・ケブラーダなどを放ちデヴィットを追い込んだが、最後はデヴィットのブラディサンデーによって敗れた。
2011年11月12日、同年2度目のIWGPジュニアヘビー級王座に挑戦、しかしデヴィットのブラディサンデーで敗れた。
2013年5月11日、南条隼人に勝利しインディペンデント・ワールド・ジュニアヘビー級王座を奪取するがTEPPEIに敗れるまで16度の防衛を果たしている。
2015年よりKAIENTAI DOJOイズム継承マッチを行っていて本田アユム洞口義浩吉野コータローなどの若手選手やヒロ・トウナイバンビと対戦を行う。TAKA曰く無駄な技を減らし、頭から落とすような危険な技をせず、ロープワークや無駄なフォール、打撃すらも極力削りとった、一点集中で試合を構築し、自らの必殺技一発で勝利する試合がKAIENTAI DOJOイズムであるという。〔

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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