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源雅親 : ミニ英和和英辞書
源雅親[みなもと の まさちか]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みなもと, げん]
 【名詞】 1. source 2. origin 

源雅親 : ウィキペディア日本語版
源雅親[みなもと の まさちか]

源 雅親(みなもと の まさちか)は鎌倉時代の公卿。正二位大納言淳和奨学両院別。唐橋と号す。父は正二位権大納言淳和奨学両院別当源通資。母は従三位藤原長輔の娘。
== 経歴 ==
以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
寿永元年(1182年)12月30日、叙爵八条院臨時御給。〕。元暦元年(1184年)12月9日、従五位上に昇叙〔八条院大嘗会御給。〕。文治5年(1189年)4月13日、侍従に任ぜられる。建久2年(1191年)1月5日、正五位下に昇叙〔八条院御給。〕。建久4年(1193年)1月29日、讃岐権介を兼ねる。建久6年(1195年)2月2日、左少将に任ぜられる。建久7年(1196年)1月6日、従四位下に昇叙〔八条院御給。〕。建久8年(1197年)1月30日、備前権介を兼ねる。
建久9年(1198年)2月26日、従四位上に昇叙〔土御門天皇の即位時、八条院御給。〕。同年4月18日、禁色を許される〔賀茂祭使を勤めたことによる。〕。正治元年(1199年)1月29日、播磨介を兼ねる。同年12月に長仁親王(後の道助入道親王)の親王宣下が行われた際、職事に任ぜられている〔『明月記正治元年12月16日条。〕。正治2年(1200年)4月15日、春宮のもとに昇殿を許される。建仁元年(1201年)1月29日、引き続き播磨介を兼ねる。同年10月26日、左中将に転任。建仁2年(1202年)8月26日、蔵人頭に補される。同年閏10月20日、参議に任ぜられる。同月24日、左中将は元の如し。
建仁3年(1203年)1月13日、美作権守を兼ねる。同年10月24日、従三位に叙される。元久2年(1205年)1月19日、正三位に昇叙〔朝観行幸時の賞。父通資の譲りによる。〕。同年7月8日に父通資が薨去したため喪に服し、8月16日に復任した。承元元年(1207年)1月13日、土佐権守を兼ねる。同年12月9日、権中納言に昇進。承元2年(1208年)11月10日、母の喪に服し12月28日には復任した。建暦元年(1211年)4月1日、従二位に昇叙。建保2年(1214年)2月11日、左兵衛督を兼ね検非違使別当に補される。同年3月21日、正二位に昇叙(前年の三条殿への行幸時の賞。七条院御給。)。12月1日、右衛門督に転任。
建保3年(1215年)12月10日、中納言に転正。建保4年(1216年)3月28日、右衛門督を止められる。承久2年(1220年)1月22日、権大納言に任ぜられる。寛喜3年(1231年)4月26日、大納言に転正。嘉禎元年(1235年)11月、大嘗会検校を勤める。同月15日には軽服。嘉禎2年(1236年)6月10日、淳和院別当となる。嘉禎3年(1237年)、奨学院別当となる。暦仁元年(1238年)3月7日、大納言を辞した。同月17日、本座を許される。仁治元年(1240年)10月20日、大納言に還任〔四条天皇が元服するに当たって奉仕するため。〕。建長元年12月5日(1250年1月9日)、腫物の病により薨去。享年70。
村上天皇より受け継がれてきた東久世荘を父・通資より譲り受ける。後に雅親は外孫である土御門定実にこれを譲っている〔『久世文書』。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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