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侍従 : ミニ英和和英辞書
侍従[じじゅう]
【名詞】 1. chamberlain 
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: [さむらい]
 【名詞】 1. Samurai 2. warrior 
侍従 : [じじゅう]
 【名詞】 1. chamberlain 
侍従 : ウィキペディア日本語版
侍従[じじゅう]

侍従(じじゅう)とは、広義では(しばしば高貴な立場の)ある人物に付き従い、身の回りの世話などをする行為、または従う者そのものを指す。日本においては、特に天皇に側近奉仕する文官や位を意味するため、この項目ではこれについて解説する。なお、武官による侍従武官皇太子に付される東宮侍従については、それぞれ項目を参照のこと。
== 沿革 ==

=== 律令官制の侍従 ===
律令官制の侍従は、和名を「まへつきみ(まえつきみ)・おもとびと・おもとびとまちぎみ」、唐名はなどという。
飛鳥浄御原令の段階では設置されていなかったとみられている〔柳雄太郎「中務省の成立について」(初出:『史聚』46号(2013年)/所収:柳『律令制と正倉院の研究』(吉川弘文館、2015年) ISBN 978-4-642-04617-6)〕。大宝令によると、従五位下相当官で、中務省に属するとされた。定員8名であったが、時代と共に増員され、最大20名程まで増員された。うち3名は少納言を兼任した。侍衛官であるため帯剣した。平安時代蔵人所が設置されてその役割が急速に縮小され、多くは大納言中納言参議が兼任するようになる。中世においては、侍従は専ら儀礼を担当することになり、天皇に側近奉仕する官としての色合いが薄れた。
定員が8名の頃、92名の次侍従が置かれ、侍従と併せて100名の定員とした。次侍従は四、五位で長年の勤務実績がある者が、八省、その他の役所から選抜され任命された。職掌は天皇の側で雑務を担当した。
侍従の辞令の例

※口宣案 「日光東照宮文書」

上卿 源中納言

元龜二年正月十一日 宣旨

左京大夫源家康

宜任侍從

藏人頭右近衞權中將源重通奉

(訓読文) 上卿 源中納言(庭田重保 47歳 従二位) 元亀2年(1571年)1月11日 宣旨 左京大夫源家康(徳川家康 29歳 従五位上)宜しく侍従に任ずべし
蔵人頭右近衛権中将源重通(庭田重通 25歳 正四位上)奉(うけたまは)る
※宣旨 「宮内省図書寮所蔵文書」

從五位下藤原朝臣基數

正二位行權大納言藤原朝臣爲富宣

奉 勅件人宜令任侍從者

文明九年十二月廿九日 掃部頭兼大外記造酒正博士中原朝臣師富奉

(訓読文) 従五位下藤原朝臣基數 正二位行権大納言藤原朝臣爲富(冷泉爲富 53歳 正二位)宣(の)る、勅(みことのり 後土御門天皇 36歳)を奉(うけたまは)るに、件人(くだんのひと)宜しく侍従に任ぜしむべし者(てへり)、文明9年(1477年)12月29日 掃部頭兼大外記造酒正博士中原朝臣師富(押小路師富 44歳 正四位下)奉(うけたまは)る

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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侍従 [ じじゅう ]

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