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山名教之 : ミニ英和和英辞書
山名教之[やまな のりゆき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [な]
 【名詞】 1. name 2. reputation 
: [これ]
 (int,n) (uk) this

山名教之 : ウィキペディア日本語版
山名教之[やまな のりゆき]

山名 教之(やまな のりゆき)は室町時代守護大名伯耆備前守護。
山名熙之の子として生まれる。幼名は鶴房、のち室町幕府第6代将軍足利義教より偏諱を受けて教之と名乗る。
父・熙之が家督を継承しなかった(継ぐことなく早世したか)ため、祖父の山名氏之から直接家督を譲られ、幼くして伯耆守護の座に就く。家督の譲渡時期は不明だが、応永34年(1426年)5月には「山名鶴房」として文献に現れ、永享10年(1438年)8月には兵部少輔として見える。それ以降、40年余りに渡って伯耆国に君臨、国人衆を支配体制に組み込み、強固な地盤を築いた。
嘉吉元年(1441年)、嘉吉の乱において同族の山名持豊(宗全)山名教清と共に赤松満祐の領国に攻め入り、満祐の首を挙げた功績で教之は恩賞として備前が与えられ、伯耆・備前2か国の守護となった。享徳2年(1453年)頃に長男の豊之に家督を譲り、応仁の乱で宗全に従い西軍の部将として戦ったが、赤松政則に備前を奪われた。また、文明3年(1471年)に豊之が伯耆で殺害されている。
文明5年(1473年)死去。次男の豊氏は同族の因幡守護山名熈幸の養子になっていたため、3男の之弘が伯耆守護職を継いだが、文明8年(1476年)に赤松政則の支持を得た4男の元之が伯耆守護となり、山名政豊の支援を受けた孫の政之と争った。
== 参考文献 ==

*高橋正弘『因伯の戦国城郭 通史編』1986年
*倉吉市『新編倉吉市史 第二巻 中・近世編』1995年
*岡村吉彦「伯耆山名氏の権力と国人」(鳥取地域史研究会『鳥取地域史研究 第3号』2001年)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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