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多治比広足 : ミニ英和和英辞書
多治比広足[たじひ の ひろたり]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
  1. (n,pref) multi- 
: [ひ]
  1. (n,n-suf) (1) ratio 2. proportion 3. (2) Philippines 
: [あし]
 【名詞】 1. foot 2. pace 3. gait 4. leg 

多治比広足 : ウィキペディア日本語版
多治比広足[たじひ の ひろたり]
多治比 広足(たじひ の ひろたり、天武天皇10年(681年) - 天平宝字4年1月21日760年2月12日))は、奈良時代公卿左大臣多治比嶋の六男。官位従三位中納言
== 経歴 ==
霊亀2年(716年従五位下叙爵養老5年(721年)従五位上・造宮大輔神亀3年(726年)に正五位下に叙任される。その後、天平5年(733年上総守、天平10年(738年武蔵守と地方官を歴任する。
天平11年(739年)兄の中納言多治比広成が没すると広足が一族の長となり、天平12年(740年)正五位上、天平15年(743年従四位下、天平19年(747年)従四位上と、橘諸兄政権下で順調に昇進し、天平20年(748年正四位下参議に叙任され公卿に列した。またこの間、刑部卿兵部卿などを務めている。
天平勝宝元年(749年孝謙天皇即位に伴って正四位上中納言に、翌天平勝宝2年(750年従三位に昇叙される。天平勝宝年間末には左大臣藤原豊成紫微内相藤原仲麻呂に次いで、太政官の第三位の席次に昇る。しかし、天平宝字元年(757年)に発生した橘奈良麻呂の乱では、一族から多治比犢養・礼万呂・鷹主と複数の処罰者を出したことを咎められ、公卿として相応しくないとして中納言の任を解かれた〔『続日本紀』天平宝字元年8月4日条〕。以降は出仕せず邸宅に籠もったという〔『続日本紀』天平宝字4年1月21日条〕。
天平宝字4年(760年)正月21日薨去享年80。最終官位散位従三位。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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