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多治比宇美 : ミニ英和和英辞書
多治比宇美[たじひ の うみ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
  1. (n,pref) multi- 
: [ひ]
  1. (n,n-suf) (1) ratio 2. proportion 3. (2) Philippines 
: [び]
  1. (n,n-suf) beauty 

多治比宇美 : ウィキペディア日本語版
多治比宇美[たじひ の うみ]
多治比 宇美(たじひ の うみ、生没年不詳)は、奈良時代から平安時代初期にかけての貴族。名はとも記される。右大弁多治比国人の子〔中田憲信『皇胤志』〕。官位従四位上・右中弁。
== 経歴 ==
宝亀11年(780年従五位下叙爵し、翌天応元年(781年従五位上に叙せられる。民部少/大輔を経て、延暦4年(785年正五位下陸奥守に叙任されて、陸奥按察使鎮守副将軍を兼ねて、宝亀の乱終結後の蝦夷征討の任にあたる。延暦7年(788年)鎮守将軍。なお、この間の延暦8年(789年)には征東将軍紀古佐美による大規模な遠征が行われるも、巣伏の戦い蝦夷に大敗しているが、宇美の動静は明らかでない。
延暦9年(790年右中弁に任ぜられて京官に復し、延暦10年(791年)には武蔵守に任ぜられている。延暦16年(797年従四位上に至る。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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