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ボブ・スウィータン : ミニ英和和英辞書
ボブ・スウィータン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ボブ・スウィータン : ウィキペディア日本語版
ボブ・スウィータン[ちょうおん]

ボブ・スウィータンBob Sweetan、本名:Bob Carson1940年7月4日〔 - )は、カナダアルバータ州カルガリー出身の元プロレスラー〔『THE WRESTLER BEST 1000』P313(1996年、日本スポーツ出版社) 〕。生年は1943年とされる場合もある。
アメリカ合衆国中西部や中南部を主戦場に、ヒールラフファイターとして活躍した。
== 来歴 ==
1965年ブルーザー・ボブ・スウィータン"Bruiser" Bob Sweetan)のリングネームでデビューし、地元カルガリーのスタンピード・レスリングを主戦場にヒールのポジションで活動。レオ・バークスタン・スタージャックと対戦し、1968年にはギル・ヘイズとのコンビでポール&ジョー・ルダックのルダック・ブラザーズと抗争した。
1969年からはアメリカ中西部NWAセントラル・ステーツ地区に進出し、KO・コックスK.O. Kox)を名乗りディック・マードックと組んで活躍。ボブ・ガイゲル&ザ・ヴァイキング、トーア・カマタ&ルーク・ブラウンなどのチームを破り、同地区版のNWA北米タッグ王座を2回獲得している。1971年5月、ボブ・カーセンBob Carsen)の名義で日本プロレスの『ゴールデン・シリーズ』に初来日、5月31日に札幌中島スポーツセンターにて大木金太郎アジアヘビー級王座に挑戦した(同年1月、KO・コックスとして国際プロレスに初来日する予定だったが、日本プロレスの妨害により来日中止となっている〔『週刊プロレスSPECIAL 日本プロレス事件史 vol8 』P40(2015年、ベースボール・マガジン社、ISBN 9784583622699)〕)。
以降はリングネームをボブ・スウィータンに戻し、セントラル・ステーツ地区を中心にミッドサウス(オクラホマルイジアナミシシッピアーカンソー)のトライステート地区、アラバマのガルフ・コースト地区などを転戦。トライステート地区では若手時代のスタン・ハンセン&フランク・グーディッシュ1975年にUSタッグ王座を争い、ガルフ・コースト地区ではリップ・タイラーエディ・サリバンと抗争を展開、同年12月28日にはタイラーからNWAガルフ・コースト・ヘビー級王座を奪取している。
主戦場のセントラル・ステーツ地区では、1977年6月10日にテッド・デビアスを破りNWAセントラル・ステーツ・ヘビー級王座を獲得(以後、ランディ・オルズバズ・タイラーを下し、同王座には1981年12月にかけて通算5回戴冠)。1977年下期にはブラック・アンガス・キャンベルとTV王座を争い、1978年10月14日にはボブ・ブラウンと組んでジェシー・ベンチュラ&タンク・パットンから同地区版のNWA世界タッグ王座を奪取した。
1979年よりマイク・ジョージタッグチームを結成。同年9月28日、ビル・ワット主宰のMSWAにてバトルロイヤルを制し、ミッドサウス・タッグ王座の初代チャンピオン・チームとなる。1980年10月30日にはセントラル・ステーツ地区でボブ・ブラウン&ルーファス・ジョーンズを破り、NWAセントラル・ステーツ・タッグ王座を獲得した。なお、MSWAではマイケル・ヘイズ&テリー・ゴディファビュラス・フリーバーズとも共闘し、ポール・オーンドーフジャンクヤード・ドッグバック・ロブレイなどのチームと対戦している。
1981年1月、マイク・ジョージとのコンビで国際プロレスの『新春パイオニア・シリーズ』に参戦、10年ぶりの来日を果たし、1月20日に大阪府立体育館アニマル浜口&マイティ井上IWA世界タッグ王座に挑戦した。シリーズ中に行われた「ルー・テーズ杯争奪戦」の前期予選にも出場し、同ブロックの寺西勇マッハ隼人に勝利したがホセ・アローヨに敗退、各ブロックの2位選手3名による敗者復活戦でジ・インベーダーを下すも、ラッシャー木村に敗れ予選通過は果たせなかった(同年7月開幕のシリーズを最後に国際プロレスは活動を停止したため、秋に開催されるはずだった決勝リーグは最終的には行われていない)〔『Gスピリッツ Vol.16』P76(2010年、辰巳出版、ISBN 4777808017)〕。
1982年からはミスター・パイルドライバーMr. Pile Driver)をニックネームにテキサス州サンアントニオのSCWに定着。翌1983年2月27日にタリー・ブランチャード、5月20日にアドリアン・アドニスを破り、サウスウエスト・ヘビー級王座を2回獲得している。SCWではベビーフェイスのポジションに回り、モンゴリアン・ストンパーキラー・カーンとも対戦した。
1983年の下期はプエルトリコWWCに登場し、10月23日にキング・トンガからプエルトリコ・ヘビー級王座を奪取した。1984年4月には、同じくSCWを主戦場としていたテリー・ファンクのブッキングにより、第1次UWFの旗揚げシリーズ『UWFオープニング・シリーズ』に外国人エースとして参加、前田日明ともシングルマッチで対戦している。
セミリタイア後は、1985年ルイジアナ・スーパードームで行われたMSWAのビッグイベントにおいて、テッド・デビアス&スティーブ・ウィリアムスジェイク・ロバーツ&ザ・バーバリアン戦のスペシャル・レフェリーを務めた。1987年には旧敵リップ・タイラーがガルフ・コースト地区で主宰していたWOW(ワールド・オーガニゼーション・レスリング)にてカムバックを果たし、団体のエース格となってジェリー・スタッブスビッグ・ババなどと対戦した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ボブ・スウィータン」の詳細全文を読む




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