翻訳と辞書
Words near each other
・ ビッグスー川
・ ビッグス粒子
・ ビッグタウンふたりの朝
・ ビッグタスク
・ ビッグダディ
・ ビッグダディ (プロレスラー)
・ ビッグダディ (映画)
・ ビッグダディ・クール
・ ビッグダディ・ケイン
・ ビッグダディ・ディンク
ビッグダディ・バンディ
・ ビッグダディ・バンディー
・ ビッグダディ・ヤムヤム
・ ビッグダディ・リッター
・ ビッグダディー
・ ビッグダディー・ケイン
・ ビッグチャップ
・ ビッグツリーテクノロジー&コンサルティング
・ ビッグテン
・ ビッグテンカンファレンス


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ビッグダディ・バンディ : ミニ英和和英辞書
ビッグダディ・バンディ
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ビッグダディ・バンディ ( リダイレクト:キングコング・バンディ ) : ウィキペディア日本語版
キングコング・バンディ

キングコング・バンディKing Kong Bundy、本名:Christopher Alan Pallies1957年11月7日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラーニュージャージー州アトランティックシティ出身。
現役選手時代はスキンヘッドの超巨漢ヒールとして、WWFなどを主戦場に活躍した。
== 来歴 ==
プロレスラー養成機関 "モンスター・ファクトリー " の主宰者ラリー・シャープのコーチを受け、1970年代末に東部のローカル・エリアでデビュー〔『新日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P19(2002年、日本スポーツ出版社)〕。当時はクリップラー・クリス・キャニオン(''"Crippler" Chris Canyon'')、または往年の巨漢レスラーであるマン・マウンテン・キャノンの「息子」と称し、マン・マウンテン・キャノン・ジュニア(''Man Mountain Cannon, Jr.'')などのリングネームを用いていた。
1980年代に入り、フリッツ・フォン・エリックが主宰するテキサス州ダラスのWCCWに参戦。当初はビッグ・ダディ・バンディ(''Big Daddy Bundy'')、後にキングコング・バンディ(''King Kong Bundy'')と改名し、1982年5月5日にケリー・フォン・エリックからNWAアメリカン・ヘビー級王座を奪取。同年6月4日、テキサス・スタジアムにてフリッツ・フォン・エリックの引退試合の相手を務め、日本でも巨漢の若手ヒールとして注目される。1983年6月17日にはダラスでジャイアント馬場PWFヘビー級王座にも挑戦した。
同年下期よりジム・バーネット主宰のジョージア・チャンピオンシップ・レスリングに転戦し、ポール・エラリング率いるリージョン・オブ・ドゥームに加入するが仲間割れ。翌1984年5月6日、マスクド・スーパースターと組んでロード・ウォリアーズからNWAナショナル・タッグ王座を奪取する。その後、テネシー州メンフィスCWAに進出し、ジミー・ハート率いるファースト・ファミリーに加入。1984年7月30日にトミー・リッチを破ってAWA南部ヘビー級王座を獲得し、10月4日にはリック・ルードと組んでファビュラス・ワンズから同タッグ王座を奪取した。並行してブーン・ブーン・バンディ(''Boom Boom Bundy'')の変名でAWAベビーフェイスとして単発参戦、ジェリー・ブラックウェルと巨漢コンビを結成し、ウォリアーズとの再対決も行われた。
1985年1月、新日本プロレスの『新春黄金シリーズ』に初来日。アントニオ猪木を相手に、2月5日に愛知県体育館、翌6日に大阪府立体育館にて、1万5000ドルの賞金をかけたボディスラム・マッチ2連戦を行う。新日本には同年3回に渡って参戦し、再来日となる5月開幕の『IWGP&WWF チャンピオン・シリーズ』ではアンドレ・ザ・ジャイアントとのスーパーヘビー級対決が実現。最後の来日となった6月末開幕の『バーニング・スピリット・イン・サマー』では、当時新日本に移籍したばかりのブルーザー・ブロディとキングコング・タッグを組み、アントニオ猪木&坂口征二の黄金コンビから勝利を収めている。同シリーズではバッドニュース・アレンをパートナーに、7月12日に後楽園ホールにて藤波辰巳&木村健吾が当時保持していたWWFインターナショナル・タッグ王座にも挑戦した。
同年3月、新日本プロレスからの逆ブッキングという形でWWFと契約〔『THE WRESTLER BEST 1000』P189(1996年、日本スポーツ出版社)〕。世界王者ハルク・ホーガンのライバル候補として売り出され、3月31日にニューヨークMSGで行われたレッスルマニア第1回大会S・D・ジョーンズを秒殺、センセーショナルなデビューを果たす。その後は先述の新日本再来日を経てWWFに定着し、ボビー・ヒーナンマネージャーにホーガンとの連戦を開始。1986年4月7日のレッスルマニア2では、スチール・ケージ・マッチでホーガンのWWF世界ヘビー級王座に挑戦した。同じヒーナン・ファミリーのビッグ・ジョン・スタッドとも超大型コンビを結成し、ホーガン&アンドレやマシーンズスーパー・マシーン&ビッグ・マシーン)を相手にスーパーヘビー級のタッグ抗争を繰り広げたが、1988年、体調悪化により一時引退することとなり、俳優として映画やテレビドラマに出演した。
1994年テッド・デビアス率いるミリオンダラー・コーポレーションの一員としてWWFに復帰。翌1995年4月2日のレッスルマニアXIではジ・アンダーテイカーとも対戦したが、全盛期のような活躍は見られず同年WWFを解雇された。以降は各地のインディー団体を転戦し、1997年8月にはIWAジャパンにも参戦、12年ぶりの来日を果たした。1999年にはAWAスーパースターズ・オブ・レスリングに登場。2000年代以降もタレント活動を行う一方、インディー団体へのスポット出場を続けている〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「キングコング・バンディ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 King Kong Bundy 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.