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高山氏 : ミニ英和和英辞書
高山氏[たかやまし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 
高山 : [こうざん]
 【名詞】 1. high mountain 2. alpine 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [うじ]
 【名詞】 1. family name 2. lineage 3. birth 

高山氏 : ウィキペディア日本語版
高山氏[たかやまし]
高山氏(たかやまし)は、日本氏族のひとつ。
== 平姓高山氏 ==
桓武平氏良文流の秩父氏の一族。秩父重綱の三男である秩父三郎が武蔵国高麗郡高山邑埼玉県飯能市高山にある高山不動に名を残す)に住して高山三郎を名乗り、初代高山三郎重遠となる。
後に重遠は上野国緑野郡高山(群馬県藤岡市美九里地区字高山)を本拠とし、重遠の嫡男重久(重昭)が高山を継ぎ、弟の重幸は緑野郡小林邑に移り小林氏の祖となる。
この頃から重遠の一族は高山党と呼ばれるようになる。
大治6年(1131年)緑野郡に伊勢神宮領高山御厨が置かれる。
上野国群馬県多胡郡源義賢との結びつきをもったようで、高山重久の代に木曾義仲が挙兵したとき、横田河原の合戦に参加している。(高山党の西七郎、平家軍の富部三郎と戦う)その後源範頼軍に参加。
元暦元年12月、高山重遠、熊谷四郎ら佐々木盛綱に従い備前国児島で平行盛を破る。
鎌倉時代になり建保2年(1213年)の和田氏の乱では北条方として参戦し、重昭の嫡男高山重治鎌倉で討死した。元弘3年(1333年)、新田義貞が挙兵すると高山時重はこれに加わり、分倍河原の戦いで戦死した。子の高山重栄はその後も新田軍として活躍したが、義貞が戦死すると足利尊氏に従った。その後も足利氏に従ったが、応安元年(1368年)、武蔵平一揆の際には河越直重に加わる。乱は関東管領上杉憲顕によって鎮圧され、以降は関東管領上杉氏の家臣として吾妻郡高山村を本拠に高山頼重上杉禅秀の乱永享の乱で、高山重秀重友結城合戦と戦功を重ねた。
高山盛重(因幡守)は文明18年(1486年)上杉顕定に従い、菅谷原の合戦(埼玉県嵐山町)で上杉定正に敗れ討ち死。その後の盛重の子孫は、新田の金山城主横瀬氏、由良氏に仕え、高山繁勝の代で秋元六万石の国家老として栄える。本家は大高山と呼ばれ、その分家の子孫に江戸期の寛政三奇人の一人として著名な高山彦九郎がいる。
主家の上杉氏は天文15年(1546年)、北条氏康河越夜戦で敗れると次第に没落し、天文21年、上杉憲政越後の長尾景虎(上杉謙信)を頼って落ちて行く。永禄3年(1560年)、上杉謙信の関東出兵の際には高山行重がこれに参加したが、武田氏後北条氏の勢力が強くなると高山氏は上州の諸将と共に武田信玄に従った。武田氏滅亡後は織田信長配下の滝川一益本能寺の変ののちは後北条氏に属し、小田原征伐で後北条氏と共に没落した。末裔は江戸時代には高山衆と呼ばれた。居館として中山城遺構がある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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