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隠元隆琦 : ミニ英和和英辞書
隠元隆琦[いんげん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

隠元 : [いんげん]
 (n) beans
: [げん, もと, がん]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 4. (2) former 

隠元隆琦 ( リダイレクト:隠元隆き ) : ウィキペディア日本語版
隠元隆き[いんげん りゅうき]

隠元 隆琦(いんげん りゅうき、特として大光普照国師、仏慈広鑑国師、径山首出国師、覚性円明国師、勅賜として真空大師、華光大師、万暦20年・文禄元年11月4日1592年12月7日〉 - 寛文13年4月3日1673年5月19日〉)は、初の禅宗福建省福州福清県の生まれで、その俗姓は林である。
隠元自身は臨済正宗と称していたが、独特の威儀を持ち、禅とさまざまな教えを兼ね併せる当時の「禅浄双修」の念仏禅や、「禅密双修」の陀羅尼禅を特徴とする明朝の禅である「明禅」を日本に伝えた。また、道者超元と共に当時の禅宗界に多大な影響を与え、江戸時代における臨済曹洞の二宗の戒律復興運動等にも大きな貢献をした。
なお、明代の書をはじめとして当時の中国における文化や文物をも伝え、隠元豆の名称に名を残し、日本における煎茶道の開祖ともされる。
== 経歴 ==

=== 生い立ち〜渡来前 ===
1592年、福建省福州府福清県万安郷霊得里東林に生まれる。俗名は林曽炳。
10歳で仏教に発心する(16歳という説もあり)が、出家修道は母に許されなかった。21歳の時に消息不明の父を浙江に捜したが果たせなかった。
23歳の時、普陀山(浙江省)の潮音洞主のもとに参じ、在俗信者でありながら1年ほど茶頭として奉仕した。
29歳で、生地である福清の古刹で、黄檗希運も住した黄檗山萬福寺鑑源興寿の下で得度した。
33歳の時、金粟山広慧寺で密雲円悟に参禅し、密雲が萬福寺に晋山するに際して、これに随行した。35歳で大悟した。38歳の時、密雲は弟子の費隠通容に萬福寺を継席して退山したが、隠元はそのまま萬福寺に残り、45歳で費隠に嗣法した。
その後、萬福寺を出て獅子巌で修行していたが、費隠が退席した後の黄檗山の住持に招請されることとなり、明崇禎10年(1637年)に晋山した。後に退席したが、明末清初の動乱が福建省にも及ぶ中、順治3年(1646年)に再度晋山した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Ingen 」があります。




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