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陸奥下村藩 : ミニ英和和英辞書
陸奥下村藩[むつしもむらはん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [りく, ろく]
 (adj-na,n) six (used in legal documents)
: [おく]
 【名詞】 1. interior 2. inner part 
: [した, もと]
 (adv) under (esp. influence or guidance)
: [むら]
 【名詞】 1. village 
: [はん]
  1. (n,n-suf) fiefdom 2. domain (precursor to current prefectures) 

陸奥下村藩 : ウィキペディア日本語版
陸奥下村藩[むつしもむらはん]
陸奥下村藩(むつしもむらはん)は、陸奥国(後の岩代国信夫郡下村(現在の福島県福島市佐倉下)に陣屋を構え、周辺を支配した
== 藩史 ==
下村藩は天明7年(1787年)10月、老中田沼意次が失脚して隠居謹慎処分となった後、田沼家の家督は意次の孫(暗殺された田沼意知の子)の田沼意明が継いだ。意次は遠州相良藩5万7000石を領していたが、失脚による処罰により1万石に減移封された上で、下村藩を立藩することとなった。田沼氏はその後、意明から弟の意壱意信、意次の弟の孫の意定へと継がれ、第5代藩主には意知の弟の田沼意正が就く。意正はかつては水野忠徳と名乗り、老中水野忠友の養子となっていたが、父の失脚に伴ってその養子縁組を解消されていた。しかし、文政元年(1818年)に忠友の跡を継いだ水野忠成が老中になると、意正も若年寄に抜擢され、幕政に参与した。
文政6年(1823年)、忠成や将軍徳川家斉の計らいもあって、意正は意次時代の旧領の相良へ再び移されることとなり、下村藩は廃藩となった。ちなみに、田沼氏が再び相良へ戻ることには幕閣の多くが反対したが、家斉はかつて意次が自身の将軍就任に協力したこと、意正自身に見所があったこと、さらに意次の名誉回復の意味もあって、反対を押し切ったと言われている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「陸奥下村藩」の詳細全文を読む




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