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近日 : ミニ英和和英辞書
近日[きんじつ]
1. (n-adv,n-t) soon 2. in a few days 
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近日 : [きんじつ]
  1. (n-adv,n-t) soon 2. in a few days 
: [にち, ひ]
  1. (n-adv,n-t) sun 2. sunshine 3. day 
近日 ( リダイレクト:近畿日本鉄道 ) : ウィキペディア日本語版
近畿日本鉄道[きんきにっぽんてつどう]

近畿日本鉄道株式会社(きんきにっぽんてつどう、英称:Kintetsu Corporation)は、大阪府奈良県京都府三重県愛知県の2府3県〔第三種鉄道事業者として近鉄が施設を保有する養老鉄道養老線を含めれば岐阜県も入る。〕に跨る営業路線網を持つ大手私鉄である。JRグループをのぞく日本の鉄道事業者(民営鉄道)の中では最長の路線網を持つ。近鉄グループホールディングスの子会社である。
一般的には略して近鉄(きんてつ、Kintetsu)と呼ばれている(「社章・略称・ロゴについて」も参照)。
== 歴史 ==
近畿日本鉄道の母体ともいえる大阪電気軌道(大軌)は、1910年(明治43年)9月16日に大阪奈良を結ぶ路線を敷設すべく奈良軌道として設立され、同年10月に大阪電気軌道へ改称した。そして生駒トンネルを難工事の末に完成させ、1914年(大正3年)に最初の路線である上本町 - 奈良間を開業させた(現在の奈良線)。
その後、1927年(昭和2年)には天理橿原神宮方面への路線網を確立した。同年に伊勢を目指すため参宮急行電鉄(参急)を設立し、1931年(昭和6年)に宇治山田まで開通、大阪から伊勢神宮への日帰り参拝を可能とした(現在の大阪線山田線)。さらに、伊勢電気鉄道(伊勢電)の合併、関西急行電鉄(関急電)の設立により、1938年(昭和13年)には名古屋へのルートを確立した(現在の名古屋線)。
戦時中の陸上交通事業調整法により周辺の鉄道会社と次々に合併し、さらに、大阪電気軌道は参宮急行電鉄や関西急行電鉄などと統合して、1940年(昭和15年)に関西急行鉄道(関急)へ再編され、1府4県に総延長437kmの路線を有する一大私鉄となった。1943年(昭和18年)には現在の近鉄南大阪線などを経営していて、既に関急の資本下に置かれていた大阪鉄道(大鉄)を合併し、この時点で現在の近畿日本鉄道の原型となる路線網が確立された。
1944年(昭和19年)には国からの強い要請を受け、長い歴史を有する南海鉄道(南海)と新設合併する形で今に至る近畿日本鉄道(近鉄)が発足、資本金23,147万円、総延長約630kmの路線を有する日本最大の民営鉄道会社となった。この時点では上本町・名古屋・天王寺・難波の4営業局体制であった。
だが、こうして国からの要請に応える形で発足した近畿日本鉄道であるが、その天王寺営業局は元大阪鉄道の社員、難波営業局は元南海鉄道の社員をそのまま引き継いだような形となった〔南海線の支線であった天王寺支線も含めて元南海鉄道の鉄道路線は難波営業局の管轄となったが、現在阪堺電気軌道の運営となっている元南海鉄道の軌道線(阪堺線上町線)および廃止された平野線は天王寺営業局の管轄となった。〕ため、いかにも無理矢理まとめたという印象が当初から強く、特に南海は関急との沿革上の接点がほとんどなかったのを、強引に戦時体制の名でつないだようなものであり、戦後の労働運動の高まりとともに、難波営業局では分離運動が盛り上がった。なお大鉄は、昭和初期には既に大軌の傘下となっていて、大軌の路線との直通運転も行っていた。
そのため、会社発足4年目の1947年(昭和22年)に難波・天王寺営業局管轄の旧・南海鉄道の路線を、旧・南海の系列会社で現在の南海高野線高野下 - 極楽橋間と鋼索線極楽橋 - 高野山間を運営していた高野山電気鉄道が改称した南海電気鉄道へ譲渡し、関西急行鉄道時代の路線網に復することになった。
その後、奈良電気鉄道(奈良電)や信貴生駒電鉄三重交通の鉄道線を承継した三重電気鉄道(三重電)などの合併により、1965年(昭和40年)には現在の路線網がほぼ完成した。
第二次世界大戦の終戦3年目に当たる1947年(昭和22年)10月には、早くも上本町 - 近鉄名古屋間に有料特急の運転を開始している。これは日本における有料特急列車の戦後初の復活であり、現在の近鉄特急の元となった。
元伊勢電気鉄道・関西急行電鉄の路線により成立した名古屋線は軌間1,067mmの狭軌であり、近畿日本鉄道の主流となる元大阪電気軌道・参宮急行電鉄によって建設された大阪線・山田線などといった路線群は軌間1,435mmの標準軌であって線路幅が異なっていたため、名阪間の直通客は途中の伊勢中川駅で乗り換えを強いられていた。この問題については、第2次世界大戦後に名古屋線の改軌が計画され、橋梁架け替えに伴う線路移設などと併せて準備工事が徐々に進められていたが、1959年(昭和34年)9月の伊勢湾台風による被災を機に、当時の社長であった佐伯勇の判断で改軌工事が復旧工事と同時進行で当初の計画を前倒しして実施されることになった〔それまでは周辺の国鉄名古屋鉄道南海電鉄との互換性を考慮して、大阪線側を1,067mmに改軌する案もあり、このため改軌に備えて1,067mm用の主電動機を搭載した1,435mm用電車も存在した。この名古屋線側の被災がきっかけとなって1,435mm案に決着した。〕。この復旧・改軌工事は、最も手間の掛かる枕木の交換作業などの準備が前もってかなりの規模で進められていて、かつ架け替え工事中であった揖斐川長良川木曽川の各新橋梁は当日落成した上、台風で致命的な被害を受けずに済んだ、という幸運も手伝って、被災からわずか2か月後の同年11月27日に名古屋線および鈴鹿線の工事が完了し、さらに同年12月には新造の10100系ビスタカーによる名阪間直通特急の運転が開始された。
1970年(昭和45年)に大阪の千里丘陵で日本万国博覧会(大阪万博)が開催されることになり、万博来場者を奈良伊勢志摩など沿線観光地へ誘致する計画を立て、孤立路線だった志摩線の改良と鳥羽線建設による直通化に取り組み、同年3月に完成させた〔鳥羽線や志摩線は一部で賢島線と呼ばれた。例えば、1971年(昭和46年)11月5日の衆議院運輸委員会、交通安全対策特別委員会連合審査会 で 交通安全対策特別委員会の沖本泰幸が、「賢島線に乗って賢島まで行きました」と発言しているほか、沖本と運輸省鉄道監督局長の山口真弘が「賢島線を建設する」という意味の発言をしている。〕。さらに同月には、難波線も完成し、1947年(昭和22年)6月1日の南海分離以来となる悲願の難波乗り入れを自力で果たした。
特急列車網も整備され、1958年(昭和33年)には2階建て車両を連結した「ビスタカー」、1988年(昭和63年)には「アーバンライナー」などといった、特色・個性あふれる車両を登場させている(その他の車両の登場年は年表参照)。
2009年(平成21年)3月20日には大阪難波まで延伸開業した阪神なんば線との相互直通運転により、奈良方面から西宮神戸方面への乗り入れを開始した(当該路線の記事および「他社線との直通運転」も参照)。
2010年(平成22年)9月16日に、創業100周年を迎えた。また、2014年(平成26年)4月30日に最初の営業区間である上本町 - 奈良間の開業から100周年を迎えた。
2015年(平成27年)4月1日に、これまでの(旧)近畿日本鉄道を近鉄グループホールディングスに社名変更した上で、会社分割により鉄軌道事業を近畿日本鉄道分割準備(2014年4月20日設立)に、不動産事業を近鉄不動産に、ホテル・旅館事業を近鉄ホテルシステムズ、流通事業を近鉄リテールサービスにそれぞれ継承させ、持株会社制に移行した〔 - 近畿日本鉄道、2014年2月25日〕〔 - 近畿日本鉄道、2014年5月13日〕。鉄軌道事業を継承した近畿日本鉄道分割準備は(新)近畿日本鉄道に社名変更し〔、近鉄グループホールディングス傘下の事業会社となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kintetsu 」があります。

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近日 [ きんじつ ]

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