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南海電気鉄道 : ミニ英和和英辞書
南海電気鉄道[なんかいでんきてつどう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みなみ]
  1. (n,vs) South 2. proceeding south 
南海 : [なんかい]
 【名詞】 1. southern sea 
電気 : [でんき]
 【名詞】 1. electricity 2. (electric) light 
: [げ, き]
  1. (suf) (uk) seeming 2. giving the appearance of 3. giving one the feeling of
: [てつ]
 【名詞】 1. iron 
鉄道 : [てつどう]
 【名詞】 1. railroad 

南海電気鉄道 : ウィキペディア日本語版
南海電気鉄道[なんかいでんきてつどう]

南海電気鉄道株式会社(なんかいでんきてつどう、英称:''Nankai Electric Railway Co., Ltd.'')は、大阪ミナミ難波和歌山関西空港高野山などを結ぶ鉄道を経営する大手私鉄。総営業キロは154.0km。車両数は704両。一般的には「南海」もしくは「南海電鉄」と略されるほか、「南海電車」の呼称がある。
本社は大阪府大阪市浪速区今宮戎駅北西側に立地する南海なんば第1ビルに所在。東証1部に上場〔。1954年の東証上場廃止以来、長きにわたり東証には上場していなかったが、2008年3月21日をもって東京証券取引所第一部市場に再上場した。〕〔かつては大証1部にも上場していたが、東京証券取引所との現物株統合に伴い2013年7月12日をもって上場終了となった。また、名証1部についても南海電鉄独自の判断により2013年12月15日をもって上場終了となった( - 南海電気鉄道、2013年10月31日 と 上場廃止等の決定について<東レ(株)、旭化成(株)、コスモ石油(株)、南海電気鉄道(株)> - 名古屋証券取引所、2013年11月14日)〕。
純民間資本としては現存する日本最古私鉄である。社名の「南海」は、 - 和歌山間の出願時に紀伊国が属する律令制南海道に因んで名づけられたことに由来し、のちに淡路四国航路との連絡も果たした。グループスローガンは「''Fine & Bright NANKAI - お客さまとともに''」。また、南海沿線の観光誘致のキャッチコピーとして「なんかいい、NANKAI」も使われている。かつてはプロ野球球団(南海ホークス、後の福岡ダイエーホークス、福岡ソフトバンクホークス)や、野球場(大阪球場中百舌鳥球場、いずれも後に解体)を経営していたが、1988年に撤退した。
スルッとKANSAIでカードに印字される符号はNKである。全国登山鉄道‰会加盟。

'Fine & Bright NANKAI - お客さまとともに''」。また、南海沿線の観光誘致のキャッチコピーとして「なんかいい、NANKAI」も使われている。かつてはプロ野球球団(南海ホークス、後の福岡ダイエーホークス、福岡ソフトバンクホークス)や、野球場(大阪球場中百舌鳥球場、いずれも後に解体)を経営していたが、1988年に撤退した。
スルッとKANSAIでカードに印字される符号はNKである。全国登山鉄道‰会加盟。

'」。また、南海沿線の観光誘致のキャッチコピーとして「なんかいい、NANKAI」も使われている。かつてはプロ野球球団(南海ホークス、後の福岡ダイエーホークス、福岡ソフトバンクホークス)や、野球場(大阪球場中百舌鳥球場、いずれも後に解体)を経営していたが、1988年に撤退した。
スルッとKANSAIでカードに印字される符号はNKである。全国登山鉄道‰会加盟。


== 歴史 ==
1884年に関西経済界の重鎮、藤田伝三郎松本重太郎田中市兵衛外山脩造らによって大阪堺間鉄道として設立され、1885年に難波 - 大和川(後に廃止)間を開業した阪堺鉄道を始まりとしている。阪堺鉄道は日本鉄道(半官半民)・東京馬車鉄道に次いで日本で3番目の私鉄として設立され、1883年に廃止された釜石鉱山鉄道の資材を用いて建設された。
1898年に新設会社の南海鉄道が阪堺鉄道の事業を譲り受け、1909年には競合路線を有していた浪速電車軌道、1915年には同じく阪堺電気軌道、そして1922年には根津嘉一郎から譲られる形で大阪高野鉄道を、1940年には交通統制のため競合会社の阪和電気鉄道、1942年には加太電気鉄道を合併した。
1944年に、元阪和電気鉄道の路線を戦時買収運輸通信省に譲渡(阪和線となる)した後、戦時企業統合政策(陸上交通事業調整法)により関西急行鉄道(関急)と合併、近畿日本鉄道となり〔後述の南海分離後、2015年に持株会社に移行して近鉄グループホールディングスとなり、新設の近畿日本鉄道に鉄道事業を分割した。〕、鉄道線は難波営業局、軌道線は天王寺営業局の管轄となった。しかしこの合併は、殆ど接点のない、経緯や社風が全く異なる者同士のものであって、当初から体制に無理が生じていた。当時の関急側の代表者であり、関急成立の立役者である種田虎雄でさえ、「南海との合同だけは、政府から無理強いされたもので、自分が望んだものではなかった」と語っていた。そういう理由もあって、終戦後に難波営業局員主導で分離運動が起こり、1947年に高野下 - 高野山間を運営していた高野山電気鉄道へ旧・南海鉄道の路線を譲渡する形で、南海電気鉄道が発足した(このため法人としての南海電気鉄道の設立日は高野山電気鉄道の設立日である1925年3月28日となっている)。1961年には、貴志川線(2006年に和歌山電鐵へ譲渡)や和歌山軌道線(1971年廃止)を経営していた和歌山電気軌道も統合している。
なお、浪速電車軌道・(初代)阪堺電気軌道の路線については、1980年に南海子会社の(2代)阪堺電気軌道へ譲渡された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「南海電気鉄道」の詳細全文を読む




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