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西園寺公衡 : ミニ英和和英辞書
西園寺公衡[さいおんじ きんひら]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

西 : [にし]
 【名詞】 1. west 
: [その]
  1. (n,n-suf) garden (esp. man-made) 2. park 3. plantation 
: [てら]
 【名詞】 1. temple 
: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate

西園寺公衡 : ウィキペディア日本語版
西園寺公衡[さいおんじ きんひら]

西園寺 公衡(さいおんじ きんひら)は、鎌倉時代後期の公卿従一位左大臣竹林院左大臣、または竹中と号する。父は太政大臣西園寺実兼。母は内大臣中院通成の娘顕子
== 人物像 ==
1283年弘安6年)に参議権大納言内大臣等を経て、1309年延慶2年)に左大臣を務める。1299年正安元年)のとき右大臣に就き、更に父実兼の関東申次を継ぎ、大覚寺統持明院統問題に際して権力を振りかざす。だが、後宇多上皇に内緒で常盤井宮恒明親王擁立に動いたことで勘事を被り、大覚寺統から忌避されるようになると権力は衰えた。
嘉元4年(1306年)、一族繁栄と自身の長寿を祈願して「不空羂索神咒心経」を書写(現在は東京国立博物館蔵、重要文化財e国宝に画像と解説あり )し、その12日後恩赦されている。更に延慶2年(1309年)頃、これまでの一族繁栄への感謝とこれからの更なる繁栄を願って、『春日権現験記絵』(詞書鷹司基忠父子ら4人、絵高階隆兼)を制作させた。その後、1311年応長元年)出家。1315年(正和4年)薨去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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