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藤原 家長(ふじわら の いえなが、生没年未詳)は、平安時代末期の廷臣。藤原北家魚名流、参議・藤原家保の子〔『本朝世紀』によれば家長は家成の兄とされる。〕。官位は正四位下・刑部卿。 == 経歴 == 元永元年(1118年)白河院判官代と鳥羽天皇の蔵人に任ぜられる〔『中右記』元永元年正月10日条〕。美濃・土佐・備中などの国司を歴任後、久寿3年(1156年)能登守に任ぜられる〔『兵範記』久寿3年正月28日条〕。 また、藤原忠実・頼長父子に近侍し、その外出の際にはしばしば前駆を勤めている〔『兵範記』仁平4年正月30日条,2月2日条〕。その関係からか保元元年(1156年)の保元の乱においては崇徳上皇方に参じたとされ、『保元物語』においては乱の後に出家・降伏した公家の中にその名が見える。ただし、その際の処罰を含め、その後の具体的な動静については不明であるが、乱を通じて能登守の官職を解任されたらしく、乱後の9月の除目では藤原基家が能登守に任ぜられている〔『保元物語』(岩波新日本古典文学大系本)付録の人物一覧による。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原家長」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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