翻訳と辞書
Words near each other
・ 藤原伊輔
・ 藤原伊通
・ 藤原休樹
・ 藤原佐世
・ 藤原佐忠
・ 藤原佐理
・ 藤原作弥
・ 藤原佳代子
・ 藤原佳幸
・ 藤原佶子
藤原俊信
・ 藤原俊兼
・ 藤原俊家
・ 藤原俊志
・ 藤原俊忠
・ 藤原俊憲
・ 藤原俊成
・ 藤原俊成女
・ 藤原俊盛
・ 藤原俊蔭


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

藤原俊信 : ミニ英和和英辞書
藤原俊信[ふじわら の としのぶ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [はら, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation
: [じゅん]
 【名詞】 1. excellence 2. genius
: [まこと, しん]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 

藤原俊信 : ウィキペディア日本語版
藤原俊信[ふじわら の としのぶ]
藤原 俊信(ふじわら の としのぶ、天喜3年(1055年) - 長治2年2月1日1105年2月17日)は、平安時代後期の貴族学者藤原北家日野流右大弁藤原正家の次男。官位正五位下右少弁。初名は家通
== 経歴 ==
永保年間に侍従を務め、それらの功労で寛保5年(1091年)に従五位上に叙せられる。その後、大内記を経て永長2年(1097年)に正五位下に昇叙される。翌年右衛門権佐に任ぜられるが、康和元年(1099年)に俊信の従者が罪人を仲間に奪われるという事件が発生している〔『後二条師通記』〕。だが、その年に右少弁の兼務が命ぜられ、翌年には更に文章博士を兼ねた。
康和5年(1103年)には宗仁親王(のち鳥羽天皇)の立太子を受けて東宮学士をも兼ねる(ただし、親王は生後7ヶ月)。翌年の改元に際しては菅原在良とともに紀伝勘文を提出し、その勘案に基づいて「長治」の元号が採用された(なお、その前の「康和」は式部大輔であった父・正家の勘案によるものであった)。だが長治2年(1105年)、父に先立って病没した。
藤原師実師通父子から作文会の講師を命ぜられ、藤原忠実藤氏長者になって最初の法成寺参詣に随行するなど、家司ではなかったものの、摂関家からの信任が厚かった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「藤原俊信」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.