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第22回NHK紅白歌合戦 : ミニ英和和英辞書
第22回NHK紅白歌合戦[だいにじゅうにかいえぬえいちけいこうはくうたがっせん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [だい]
 (n,pref) ordinal
: [かい]
 【名詞】 1. counter for occurrences 
: [べに, くれない]
 【名詞】 1. deep red 2. crimson 
紅白 : [こうはく]
 【名詞】 1. red and white 2. colours for festive or auspicious occasions (colors) 
紅白歌合戦 : [こうはくうたがっせん]
 (n) annual singing contest held on New Year's Eve
: [しろ]
 【名詞】 1. white 
: [うた]
 【名詞】 1. song 2. poetry 
歌合 : [うたあわせ]
 【名詞】 1. poetry contest 
歌合戦 : [うたがっせん]
 (n) singing matches
: [ごう]
 【名詞】 1. go (approx. 0.18l or 0.33m) 
合戦 : [かっせん]
 【名詞】 1. battle 2. engagement 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 

第22回NHK紅白歌合戦 : ウィキペディア日本語版
第22回NHK紅白歌合戦[だいにじゅうにかいえぬえいちけいこうはくうたがっせん]

第22回NHK紅白歌合戦』(だいにじゅうにかいエヌエイチケイこうはくうたがっせん)は、1971年12月31日東京宝塚劇場で行われた、通算22回目のNHK紅白歌合戦。21時から23時45分にNHK生放送された。
== 概要 ==

*番組側は当初、紅組司会は前回に引き続き美空ひばりを起用する方針(2年連続での紅組司会兼大トリの可能性もあった)だったが、ひばりが辞退したため、水前寺清子を選出した(ひばりと水前寺は確執が噂されていた)。ひばりはこの年行われた大阪梅田コマ劇場での1ヶ月座長公演初日を前にした記者会見で「もう2度と紅白の司会をやろうと思いませんね。ヒット歌手じゃないと出場資格がないらしいけれど、それなら私も出られないんじゃないの?去年の出場メンバーを見て、びっくりしちゃった。当然入らなきゃいけない人が、あの人もこの人も落ちている・・・こんな人がと思うような歌手が入ってくるでしょう。まともに歌っていられない。こんな紅白には出る気はしません。今年は辞退しようかと思っています」と述べ、続けて隣に座っていたひばりの母親・加藤喜美枝は「ほんとにあれでは紅白も信用ガタ落ちですよ。もし出るとしてもお嬢は今までの実績があるんだから、トリ以外は考えられません。これは絶対の条件にします」と発言した。このひばり側の傲慢さに「自分からトリを条件に出てやるとは何事だ・・・」と非難が集中し、NHK局内からも「いっそ出場させなくていいのでは?」との声が上がった。なお、最終的にひばりは紅組トリおよび大トリ歌手として出演した〔合田道人『紅白歌合戦の真実』幻冬舎、2004年、74~76頁。〕。ひばりは9年連続通算12回目の紅組トリ、6年連続通算10回目の大トリとなった。史上初の10回目の大トリ担当も達成。
*ひばりの紅組司会辞退が明るみとなった際、各メディアはひばりに続く紅組司会の候補として、『歌のグランドステージ』の司会者・由紀さおり、この年の連続テレビ小説繭子ひとり』の出演者・朝丘雪路、『世界の音楽』の司会者・佐良直美(翌年の第23回で水前寺に代わって紅組司会を初担当)、『天下御免』のナレーション・水前寺を予想し出し、さらに秋口からは各新聞週刊誌が当時宝塚歌劇団男役トップスターで『歌のグランドステージ』のレギュラー・真帆志ぶきで内定と報じていた(真帆によれば「実は九分九厘、司会は決定だったんですよ。私もやる気がなかったわけじゃないんですが、最終的に宝塚からNGが出たんですよ」と語っている)。最終的には今回の紅組トリの最有力候補とされた水前寺が選ばれた。今回の紅組司会人選はスタッフ内でも意見が分かれ、スタッフが白組司会の宮田輝に「紅組は誰がいいだろうか?」と聞いたところ、宮田がためらわず水前寺を指名し起用が決定したという〔合田『紅白歌合戦の真実』〕。
*第19回1968年)以来3年ぶり2回目の紅組司会となった水前寺は、3年前の初紅組司会時から周囲が司会の上手さを認めていたが、水前寺が翌1969年より日本テレビ系列『NTV紅白歌のベストテン』の初代紅組司会に就任(水前寺の起用は第19回での司会の上手さを日本テレビが評価したため)したことで同年の第20回では水前寺の紅組司会続投ができなかった。しかし、この時点で既にそちら番組を降板していたため、起用が可能となったという事情もあった〔合田『紅白歌合戦の真実』、77頁。〕。
*水前寺の紅組司会起用が決定した段階でひばり落選、水前寺の紅組司会兼トリ並びに小林旭(ひばりの元夫)初出場という構図が固まったと言われた。しかし結局ひばりの出場は決まり(小林は出場せず)、NHKは「ひばりさんのような圧倒的なファンを持つ歌手が紅白に出ないなどということはあり得ません。無論トリで歌って頂きます」と出場歌手発表時にトリも発表という異例の対応をした。
*同日に21時まで開催されたTBS系列『第13回日本レコード大賞』は鮮明なカラーのビデオ映像の完全版VTRが現存しており、この年の紅組出場歌手の『レコード大賞』からの紅白移動組は(五十音順)朝丘雪路加藤登紀子小柳ルミ子渚ゆう子南沙織。白組の尾崎紀世彦は『レコード大賞』を受賞した後、紅白では白組トップバッターで歌った(下記参照)。
*今回頃から従来のスタンドマイクよりもハンドマイクが主流になる。
*平尾昌晃五木ひろしの「よこはま・たそがれ」と小柳ルミ子の「わたしの城下町」)や宮川泰布施明の「愛の終りに」)、猪俣公章森進一の「おふくろさん」)らが指揮者として出演している。
*水前寺が歌手として出演(トリから2番目。紅組トリのひばりの前)する際の代理の曲紹介は佐良直美と和田アキ子が行った。歌唱曲「ああ男なら男なら」の歌詞を「女なら女なら」に替えて歌う場面もあった。
*白組トリは3年連続で森進一が担当、白組歌手の3年連続トリ担当は史上初。宮田は客席からメガホンとマイクを使用し森の曲紹介を行った。ステージ以外からトリを紹介するのは、後にも先にもこの時だけである。
*水前寺が大トリのひばりの曲紹介を行わなかったことが波紋を呼び、後に謝罪会見を行った。この会見で水前寺は「私も歌謡界の女王と呼ばれたいものですね。」と発言した。この当時歌謡界の女王の名をほしいままにしていた、ひばりに対する精一杯の反抗であったと言われている。
*優勝は白組。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「第22回NHK紅白歌合戦」の詳細全文を読む




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