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NTV紅白歌のベストテン : ミニ英和和英辞書
NTV紅白歌のベストテン[えぬてぃーヴぃーこうはくうたのべすとてん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [べに, くれない]
 【名詞】 1. deep red 2. crimson 
紅白 : [こうはく]
 【名詞】 1. red and white 2. colours for festive or auspicious occasions (colors) 
: [しろ]
 【名詞】 1. white 
: [うた]
 【名詞】 1. song 2. poetry 
テン : [てん]
 【名詞】 1. 10 2. ten 3. (P), (n) 10/ten

NTV紅白歌のベストテン : ウィキペディア日本語版
NTV紅白歌のベストテン[えぬてぃーヴぃーこうはくうたのべすとてん]

NTV紅白歌のベストテン』(エヌティーヴィーこうはくうたのベストテン)は、1969年10月6日から1981年3月23日まで、日本テレビで放送された歌謡番組
== 概要 ==
1969年10月6日放送開始〔ただしこの回は前夜祭で、様々な歌手が応援に駆け付けて放送した(10組以上)。内容は不明。〕。毎週月曜20:00 - 20:56放送〔1972年10月から1975年9月までは20:00 - 20:55、1975年10月以降は20:00 - 20:54。いずれも「NNNニューススポット」拡大のため。〕。「『NHK紅白歌合戦』を毎週お茶の間に」という発想から始まり、「紅白」と、言わゆる「ベストテン」形式の歌謡番組を組み合わせた、当時としては画期的かつ異色とも言える歌謡番組だった。また、2か月前の8月4日に放送開始したTBSの「水戸黄門」が高視聴率だったことから、それに対抗するという意味もあった。
放送形式は原則として公開生放送東京渋谷公会堂。渋谷公会堂で定着するまでは〔渋谷公会堂で行われる様になったのは1970年4月から(参考:日本テレビ社史「大衆とともに25年・沿革史」 1978年刊)〕、後楽園ホールを中心に、関東近辺の公会堂を持ち回りしていた。まれに名古屋大阪から公開放送を行ったこともあった)。この番組は、クロスネット局で月曜20時に日本テレビが選択される原因となった番組と言われる。本家「紅白」同様、、に分かれて対決を行う。司会者は、それぞれのキャプテンを務める形式。番組にオープニングテーマ曲(エンディングでも使われた)がある。
オープニングの流れは、幕が閉まった状態で双方のキャプテンが登場、その回のテーマに関するショートコントを行い、オチが着いた所でタイトルコール(下記)をして幕を開き、出場歌手がボールを投げながらテーマ曲を歌うというものであった。しかし末期(が大場久美子の頃)からはコントは廃止され、徳光和夫(当時局アナ)のアナウンスと共に幕を開け、テーマ曲も後半は歌われなくなり、提供コメントとなった。そして最末期(榊原郁恵時代)にはアナウンスは廃止され、テーマ曲は演奏のみになり、終わった所でキャプテンが登場する様になった。
堺正章が番組終了まで務めた。については最初は水前寺清子が務めていたが、1970年にスタートした「ありがとう」(TBS)への出演や地方公演、テレビ番組出演の関係でスケジュール調整が困難となり、程なく降板。その後暫く決まったキャプテンはおかれず、毎週出場歌手から1人がキャプテンを務めていた。その後は、今陽子岡崎友紀らが紅組キャプテンを担当した。
水前寺は番組開始前年である1968年の『第19回NHK紅白歌合戦』でを務めているが、この時の司会ぶりの評価が本番組起用に繋がった。一方で翌1969年の『第20回NHK紅白歌合戦』でも水前寺はの有力候補に挙がったが、本番組に起用されたことでそちらの起用を見送られるという事態も発生している(堺についても同回のの候補に挙がっていたという)。ただし水前寺は本番組を降板した後、本家紅白のを3回務めている(堺も本番組終了後、3回に起用されている)〔合田道人『紅白歌合戦の真実』〕。
1978年10月2日の放送分からは、音声がステレオ放送になっている。これは同年9月28日、日本テレビが日本で初めて音声多重放送の実用化試験放送を開始したことに伴うもので、テレビの音楽番組でのステレオ化は最も早かった方である(ちなみに、フジテレビ夜のヒットスタジオ』も、同年10月2日にステレオ化されている)。
主な出演歌手はアイドルが中心となり、演歌がそれに続いた。フォークロックニューミュージックは稀であった。では「新御三家」の野口五郎郷ひろみ西城秀樹が毎週交代で出演し、演歌では五木ひろしが常連であった。はこれに対抗して「花の中三トリオ」の森昌子桜田淳子山口百恵が出演し、演歌では八代亜紀が常連となっていた。和田アキ子の出演も意外と多い。
出演歌手の本性を暴く『ウソ発見器』や、VSで他の歌手に扮装しての物まね対決なども見所であった。さらに本家「紅白」同様、紅白両軍の応援合戦もあり、ダンスやバンド演奏、物真似芸などその演目は多岐に渡った<。また毎年夏には、東京サマーランドなどで『プール大会』(これに限り昼間にVTR収録)が行われ、歌の傍ら、プール上の一本橋での「あっち向いてホイ」対決や、かつて毎日放送制作・NETテレビ系列で放送した「ダイビングクイズ」を紅白歌手の対戦で行う(クイズの内容は曲名当て)などの趣向も挟み込まれた。
毎年12月の最終週には「あなたが選ぶ紅白歌合戦」という企画を行った。やはり本家「紅白」を多分に意識して「NHKの紅白はヒット曲もない人を選んでいますが合点行きませんね。こちらはあくまで今年活躍した歌手をそろえました」と、制作側が「紅白に対する造反番組」とまで言い切った企画であった〔ただし1973年は、12月17日に前倒ししてこの企画を行い、さらに最終週となった12月31日には「ヤング紅白歌合戦!」という企画を放送。1979年にはやはり12月24日に前倒しして行った。〕。
1975年頃から毎年7月頃に、上半期にデビューした新人歌手が集合し、点数で評価され、合格点に満たないと歌えない企画があった。点数はネット局の地区別に集計され3度のチャンスがあり、1巡目で合格する歌手もいれば、最後まで歌えずじまいになる歌手も出る残酷さで、日本テレビ音楽祭の前哨戦でもあった。
また中学校高等学校修学旅行の定番コースになったりもした。その際はオープニングでキャプテンが観覧に来た学校を紹介し、その学校の生徒がリアクションをとるのが定番だった(これについては後継番組の「ザ・トップテン」や「歌のトップテン」でも行っていた)。
ただ、既に同じ月曜日に1968年11月放送開始の人気歌謡番組「夜のヒットスタジオ」(フジテレビ)があり、当代の人気歌手や大物は「夜ヒット」の出演を優先させることが多かった事や、1973年の「ナベプロ事件」(後述)のために、出場歌手の調達に相当苦労しており、このことについては後年、堺正章は「出演者ががら空きになってしまい、3曲歌ったことも時折あった」と回顧している。
番組の最後で日テレスタジオのいわゆる「ベストテン本部」から発表される得点発表は系列局ごとに電話で行われ(いわゆる「電話審査員」)、支持する系列局が多いチームが優勝となり、くす玉が割られて、紙吹雪風船紙テープが降り、キャプテンに優勝カップが手渡される。そのベストテン本部には、徳光和夫(この番組以降バラエティ路線に転向する)、福留功男などが担当していた。なお系列局は、時期によってその数が異なっており、時によっては引き分けになる数(偶数)になる時も有った。また、毎回の系列局代表の電話審査員全員には番組スポンサー(花王石鹸江崎グリコ三菱鉛筆などから1社)から自社製品が贈られた〔スタート当初では出場歌手や観客にこの回の結果を予想してもらい、ズバリ的中した歌手や観客にもこの製品が贈られた。〕。この流れは後継番組の「ザ・トップテン」「歌のトップテン」でも視聴者プレゼントとして受け継がれた(ただし以降は葉書で曲をリクエストした人の中から、抽選で30人を選出)。番組末期はくす玉割りが廃止され、出場歌手のバックに立つザ・バーズのメンバー〔、を着用。なお、白組に就いていたメンバーには男性が数名含まれていた。〕 が、優勝決定時にポンポン(紅組が赤、白組が白)を高々と上げる演出となった。決定後はスタッフロールと共に番組テーマ曲が流れる中、負けたチームにいたバーズのメンバーも一緒にポンポンを振り回し、最後にカメラがステージから客席へとズームアウトした後「紅白歌のベストテン また来週」(年内最後の放送は「また来年」)というテロップが画面下部に表示され終了していた。
その他、小林完吾が「ウソ発見器」コーナーのナレーターを担当していた(番組内では、小林アナを「Mr.コンピュータ」と呼称)。また、初期には作曲家・山本直純が総合司会(ベストテン本部担当)兼審査判定役として出演していた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「NTV紅白歌のベストテン」の詳細全文を読む




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