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竹島紀元 : ミニ英和和英辞書
竹島紀元[たけしま としもと]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たけ]
 【名詞】 1. bamboo 2. middle (of a three-tier ranking system) 
: [しま]
 【名詞】 1. island 
紀元 : [きげん]
 【名詞】 1. (1) era 2. (2) A.D. (Christian era) 
: [げん, もと, がん]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 4. (2) former 

竹島紀元 : ウィキペディア日本語版
竹島紀元[たけしま としもと]
竹島 紀元(たけしま としもと、1926年2月 - 2015年7月26日「鉄道ジャーナル」創刊、竹島紀元氏が死去 - 読売新聞、2015年7月27日〕)は日本編集者映画監督。雑誌『鉄道ジャーナル』、『旅と鉄道』の元編集長および両雑誌を発行する鉄道ジャーナル社の元代表取締役社長(創業者)である。日本における「ブルートレイン」の名付けの親でもある。
==経歴==
農林技官だった父親の赴任先、日本統治時代の朝鮮通川(トンチョン、つうせん)で生まれ、1945年の敗戦まで朝鮮半島で育った〔プロフィール上の出身地は福岡県〕。
旧制五高を経て〔在籍中に熊本機関区SLの実習を受けている。〕、九州大学工学部を中退後、映像制作などに従事したほか、鉄道雑誌などの編集にも関わった。
1965年、鉄道記録映画社を設立し、鉄道に関係する記録映画の制作を始め、のちに国鉄のPR映像も制作する。
1967年5月、知人の経営する広告代理店、東亜企画を通じて『鉄道ジャーナル』を季刊誌として創刊、自ら編集長となる。しかし、東亜企画の経営難から、第3号の発行が困難になり、鉄道記録映画社が業務を引き継いで、以降は同社が発行することになり、また同時に月刊化した。1970年には、業務の比重が映像よりも出版に移行したため、鉄道記録映画社を現在の鉄道ジャーナル社に社名変更している。
1971年、季刊で『旅と鉄道』を創刊、必ずしも鉄道にこだわらない旅行雑誌として2009年まで発売を続けた(末期は月刊化)。
編集者として長く活動し、鉄道ジャーナル誌では、以前は自ら写真も含め取材した記事が多かったが、21世紀に入る頃にはアジアロシアの鉄道に関係する紀行記事を掲載する程度となっていた。編集長時代は同誌の巻末で毎号コラムを掲載し、鉄道に限らず社会や出版に関係する辛口のコメントを掲載していた〔ただし、編集長退任が近くなる頃には過去の号の再録も多かった。〕。本文やタイトルには「くろがね」等の文学的な表現が散見された。
また、映像に関しては、その作品の全てを構成・演出し、他社ビデオ作品の追随を許さない本格的作品に仕上がっていると自負している〔事実、カラオケビデオ等で、尾形大作の「無錫旅情」など中国の鉄道が出てくるものは、大半が同社の映像協力になっている。〕。
この他、1988年3月に発生した上海列車事故の際も、他のマスコミ報道に左右されない独自の見解を見せていた。
一方、2001年8月号(通巻418号)に掲載された朝鮮半島の鉄道に関する自ら執筆した記事内〔なお、同号では、産経新聞ソウル支局長の黒田勝弘も寄稿している。〕で、日本軍による慰安婦強制連行についてその事実はないと主張したため、2002年1月号(通巻423号)まで読者を巻き込む論争となり、記事内容の補足説明などに追われた。その中で、問題点が指摘されていた新しい歴史教科書に対する中韓両国の修正要求に対して、「内政干渉」であるとする見解を持っていることも示された。国鉄分割民営化に際しては「政府に従うのが民主主義」と編集長コラムで断言したこともある。
なお、2006年12月刊行の「鉄道ジャーナル」2007年2月号限りで、高齢のため同誌編集長の座を退き、後任に宮原正和が据えられた。「旅と鉄道」も、2007年春の号(同年3月発行)より宮原に編集長の座を譲っている。2010年には鉄道ジャーナル社社長も退任し、成美堂出版の深見悦司が後任の社長となった。
肉類が受け付けられない体質であり、駅弁のメニューで肉料理しかなくやむを得ず食事を我慢するという描写が乗車ルポではしばしば見られた。
2015年7月26日朝、肺炎のために死去。享年89。〔鉄道ジャーナル2015年10月号170ページ〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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