翻訳と辞書
Words near each other
・ 源頼成
・ 源頼房
・ 源頼政
・ 源頼政の乱
・ 源頼政の挙兵
・ 源頼明
・ 源頼朝
・ 源頼朝が登場する大衆文化作品一覧
・ 源頼治
・ 源頼清
源頼盛
・ 源頼範
・ 源頼綱
・ 源頼義
・ 源頼胤
・ 源頼茂
・ 源頼行
・ 源頼親
・ 源頼貞
・ 源頼資


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

源頼盛 : ミニ英和和英辞書
源頼盛[みなもと, げん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みなもと, げん]
 【名詞】 1. source 2. origin 

源頼盛 ( リダイレクト:多田頼盛 ) : ウィキペディア日本語版
多田頼盛[ただ よりもり]
多田 頼盛(ただ よりもり、生没年不詳)あるいは源 頼盛(みなもと の よりもり)は、平安時代末期の武将摂津源氏多田源氏源行国の長男。弟に源国章多田頼憲源行智源仲国らがあり、子に多田行綱多田知実能瀬高頼多田高実らがある。従五位下蔵人摂津守。
平安中期に源満仲によって拓かれた多田荘を継承した多田源氏の7代目惣領であったが、弟の頼憲とは多田荘の相続を巡り対立した。当時、多田源氏が代々近侍してきた摂関家は、藤原忠通頼長兄弟の対立により分裂状態にあった為、弟の頼憲が頼長に仕えたのに対し頼盛は忠通に仕えた。そして、仁平3年(1153年)に父行国が死去すると、頼憲との遺領を巡る対立は摂津国内において激しい合戦となるまでに発展した(『本朝世紀』同年閏12月1日条)。
その後の保元の乱では、頼盛は忠通に近侍していた事から後白河天皇方として参陣し、数百の郎党を率いて天皇の警護の任に就くなどした(『兵範記保元元年(1156年)7月11日条)。一方、弟の頼憲は崇徳上皇方として出陣しており、天皇方の頼盛は勝利したが、敗れた上皇方の頼憲は嫡子と共に斬首された。これにより多田荘は頼盛の嫡子行綱に継承された。
== 関連項目 ==

*摂津源氏
*多田源氏
*多田氏


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「多田頼盛」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.