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正親町三条実音 : ミニ英和和英辞書
正親町三条実音[おおぎまちさんじょう さねとし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 
: [まち]
 【名詞】 1. (1) town 2. (2) street 3. road 
: [み]
  1. (num) three 
: [み, じつ]
 【名詞】 1. fruit 2. nut 3. seed 4. content 5. good result 
: [おと, ね]
  1. (n,n-suf) sound 2. note 

正親町三条実音 : ウィキペディア日本語版
正親町三条実音[おおぎまちさんじょう さねとし]

正親町三条実音(おおぎまちさんじょう さねとし〔名の読みは、深津睦夫『光厳天皇 をさまらぬ世のため身ぞうれはしき』197頁に基づく。〕)は南北朝時代公卿従一位准大臣内大臣正親町三条公秀の次男、母は従三位非参議藤原家相の娘。姉の秀子崇光天皇後光厳天皇の生母陽禄門院である。息男には権大納言に至った公敦、参議中将に至った公頼がいる。
== 経歴 ==
以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
正中2年(1325年)10月26日、叙爵。嘉暦4年(1329年)1月5日、従五位上に昇叙。元徳2年(1330年)1月5日、正五位下に昇叙。建武4年/延元2年(1337年)7月24日、侍従に任ぜられる。暦応2年/延元4年(1339年)1月5日、従四位下に昇叙。暦応4年/興国2年(1341年)1月22日、左少将に任ぜられる。暦応5年/興国3年(1342年)1月5日、従四位上に昇叙。同年3月30日、遠江権介を兼ねる。12月28日、右少将に転任し、康永2年/興国4年(1343年)12月22日には右中将に昇進。康永3年/興国5年(1344年)1月5日、正四位下に昇叙。貞和2年/正平元年(1346年)、遠江権介を止める。
観応元年/正平5年(1350年)6月19日、従三位に叙され、同日に右兵衛督に任ぜられる。同年8月16日には参議に任ぜられる。文和3年/正平9年(1354年)3月28日、備中権守を兼ね、同年中に右兵衛督を辞した。同年9月11日に右中将を兼ねる。文和4年/正平10年(1355年)12月27日、権中納言に昇進。延文4年/正平14年(1359年)、正三位に昇叙。延文5年/正平15年(1360年)11月17日、従二位に昇叙。12月18日、母の喪に服す。康安元年/正平16年(1361年)5月14日、復任する。
貞治2年/正平18年(1363年)4月20日、権大納言に昇進。貞治3年/正平19年(1364年)4月14日、正二位に昇叙。応安3年/建徳元年(1370年)4月13日、大宰権帥を兼ねる。応安7年/文中3年(1374年)9月18日、権大納言を辞し大宰権帥はそのまま。永和元年/天授元年(1375年)2月15日、本座を許される。
永徳元年/弘和元年(1381年)6月17日、従一位に昇叙。永徳2年/弘和2年(1382年)4月8日、准大臣宣旨。至徳3年/元中3年(1386年)2月16日、薨去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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