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岩村高俊 : ミニ英和和英辞書
岩村高俊[いわむら たかとし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いわ]
 【名詞】 1. rock 2. crag 
: [むら]
 【名詞】 1. village 
: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 
: [じゅん]
 【名詞】 1. excellence 2. genius

岩村高俊 : ウィキペディア日本語版
岩村高俊[いわむら たかとし]

岩村 高俊(いわむら たかとし、弘化2年11月10日1845年12月8日)- 明治39年(1906年1月4日)は、江戸時代後期の土佐藩士、明治期の官僚華族である。初名は精一郎。
宿毛領主伊賀家に仕えた岩村英俊(礫水)の三男で、岩村通俊林有造の弟。位階勲等は従二位勲二等男爵。美術評論家・美術史家の岩村透は長男、次男は建築家の竹腰健造
== 経歴 ==
土佐幡多郡に生れる。藩校の文武館で蘭学砲術を学ぶ。慶応3年(1867年)9月に通俊鉄砲購入に随行して長崎へ行く。ここで監察佐佐木高行の添え書きを得て11月に上京し、陸援隊に入隊した。直前に同郷の坂本龍馬中岡慎太郎近江屋で暗殺されると、暗殺者と噂された紀伊藩三浦休太郎陸奥陽之助らと共に襲撃した(天満屋事件)。その後、鷲尾隆聚高野山出兵に参加している。
戊辰戦争では、新政府軍の東山道先鋒総督府の監察および応接係として転戦。北越戦争では山道軍を率いて越後国の長岡に迫り、小千谷慈眼寺にて長岡藩家老河井継之助と会談する。だが、「会津藩を説得する」という河井の嘆願を「時間稼ぎであろう」と全く聞く耳を持たず交渉は決裂、結果として長岡藩は新政府軍の敵に回って激戦が行なわれた。明治2年(1869年)には戊辰戦争の功で永世禄高200石を得た。
維新後、有栖川宮家令、宇都宮県神奈川県の権参事を務めた後、明治7年(1874年)2月に佐賀県権令となり、内務卿・大久保利通の内意を受けて江藤新平を盟主とする征韓党の挙兵(佐賀の乱)の鎮圧に努めた。乱の後は内務省に移り、大久保の随員として井上毅らとともに清国を訪れている。同年11月には江木康直の後任として愛媛県へ赴任。明治13年(1880年)まで権令を務め、地租改正や民会施策などを実施。以後は内務省の大書記官、石川愛知福岡広島の県令や知事を歴任、明治25年(1892年)に貴族院議員となり、明治29年(1896年)には男爵に叙された。明治31年(1898年)7月30日、錦鶏間祗候に任じられた〔『官報』第4526号、明治31年8月1日。〕。
晩年は京都市一条堀川に住み、議会開催中のみ上京していた。長男の岩村透が男爵位を継いでいる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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