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少弐直資 : ミニ英和和英辞書
少弐直資[しょうに ただすけ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふたつ]
 (n) two (used in legal documents)
: [ひた, ちょく]
 【名詞】 1. earnestly 2. immediately 3. exactly

少弐直資 : ウィキペディア日本語版
少弐直資[しょうに ただすけ]
少弐 直資(しょうに ただすけ、生年不詳〔弟の冬資が1333年または1337年の生まれとされるので、これより前であることは確かであり、また本文にあるように、1350年の段階では既に元服を済ませていることが窺える(元服はおおよそ10代前半で行うことが多い)。〕 - 延文4年/正平14年8月6日1359年8月29日))は南北朝時代武将。北九州の名門少弐氏当主。
少弐頼尚の長男。少弐冬資少弐頼澄の兄。初名は少弐頼喬(よりたか)。
== 生涯 ==
貞和6年/観応元年(1350年)10月頃の段階で、父・頼尚が大宰少弐から筑後守へ名乗りを変え、大宰少弐の名は嫡子・直資に譲られたとされる〔山口、1989年、第一章筑前国守護の項。〕が、『園太暦』貞和4年8月11日条には「大宰少貮藤原頼喬 筑後守藤原頼尚」と見えており〔『大日本史料』6-11、P.721。〕、この段階で既に頼尚が「大宰少弐」の名乗りを譲ったことが分かる〔阪田、1994年、P.10。〕。従ってこの頼喬がのちの直資であり、また改名後の「直」の字は頼尚の娘婿となった足利直冬より受けたものと考えられている〔。尚、『太平記』巻三十三「菊池合戦事」には「大将大宰筑後守頼尚、子息筑後新少弐忠資」と見えていることから、「忠」は音通による誤記で「直」の字が「ただ」と読んでいたことが窺える〔阪田、1994年、P.10。『系図纂要』では忠資と直資を別々に載せているが、没年月日がほぼ同じであることからも同一人物と考えられる。〕。
以上の通り、頼尚から家督を継承したようであるが、前述の『太平記』同記事が記すように、延文4年/正平14年(1359年)に起きた筑後川の戦い(大保原の戦い)〔「太宰筑後守頼尚・直資」がこの戦いに参加したという史実は、当時の古文書からも確認ができる。典拠は、正平14年8月日付「木屋行実軍忠状」(『筑後木屋文書』、『南北朝遺文』九州編4 P.137 4129号)。〕で菊池武光ら征西将軍勢力に敗れて戦死した。『尊卑分脉』〔黒板勝美・国史大系編修会 編『新訂増補国史大系・尊卑分脉 第2篇』(吉川弘文館)P.391。〕・『系図纂要』等の系図類では頼国(よりくに)、頼興(よりおき)という二人の息子を載せており、頼国についても「討死」〔したと伝わる。少弐氏の家督は弟の冬資が継いだようである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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