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少弐政興 : ミニ英和和英辞書
少弐政興[しょうに まさおき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふたつ]
 (n) two (used in legal documents)
: [せい, まつりごと]
 【名詞】 1. rule 2. government 
: [こう]
 【名詞】 1. interest 2. entertainment 3. pleasure 

少弐政興 : ウィキペディア日本語版
少弐政興[しょうに まさおき]
少弐 政興(しょうに まさおき、天文3年(1534年)? - 没年不詳)は、戦国時代武将少弐資元の三男。兄に少弐冬尚千葉胤頼。弟に少弐元盛
永禄2年(1559年)、兄2人が龍造寺隆信により殺されると、馬場鑑周馬場政員の子で、馬場頼周の孫)に匿われ、大友義鎮と結んで少弐氏の再興を図る。永禄6年(1563年)から馬場鑑周の支援の下、有馬晴純波多鎮大村純忠多久宗利西郷純尚などの肥前国の諸将と共に、龍造寺氏と戦う。しかし、翌年に龍造寺勢の猛攻を受け肥前中野城に籠るも、馬場鑑周も降伏し、少弐氏再興の希望は潰えた(降伏したのは1565年とも)。隆信は大いに苦戦し犠牲者も少なくなかったという。このことからも政興は武勇に優れていたことがうかがえる。
その後、政興は九州を去り、大友氏の故地である引地ガ沢神奈川県大和市)に移ったといわれるが、降伏から8年後の元亀3年(1572年)にいたっても、福岡県みやま市の史料に再び龍造寺軍が東肥前の少弐政興を攻め、筑紫氏横岳氏をも攻めたという記述が見られるなど、消息ははっきりしない。
再興の希望が潰えた時の政興の悔しがりようは尋常なものではなかったが、一命を許され出家したという。
== 関連項目 ==

*少弐氏



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「少弐政興」の詳細全文を読む




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