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国鉄クヤ9020形電車 : ミニ英和和英辞書
国鉄クヤ9020形電車[こくてつ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [くに]
 【名詞】 1. country 
国鉄 : [こくてつ]
 【名詞】 1. national railway 
: [てつ]
 【名詞】 1. iron 
: [けい, かたち, ぎょう]
  1. (suf) shape 2. form 3. type
電車 : [でんしゃ]
 【名詞】 1. electric train 
: [くるま]
 【名詞】 1. car 2. vehicle 3. wheel 

国鉄クヤ9020形電車 ( リダイレクト:国鉄32系電車#サハ48形を車両性能試験車に改造 ) : ウィキペディア日本語版
国鉄32系電車[32けいでんしゃ]
32系電車(32けいでんしゃ)は、1930年(昭和5年)から1932年(昭和7年)にかけて、日本国有鉄道の前身である鉄道省横須賀線向けに製造した、2扉クロスシート旧形電車を便宜的に総称したものである。
具体的には、モハ32形(001 - 045)、サロ45形(001 - 013)、サロハ46形(001 - 013)、クハ47形(001 - 010)、サハ48形(001 - 028)、クロ49形(001, 002)の6形式111両を指す。サロハ46形、サハ48形については、1934年(昭和9年)から1937年(昭和12年)にかけて京阪神地区急行電車用に追造されているが、これらについては、国鉄42系電車および国鉄52系電車を参照されたい。
==登場==
横須賀線は、沿線に海軍鎮守府が置かれた軍港都市・横須賀があったことから、軍事的な重要路線とされ、早くから複線化などの整備が実施されていた。1922年(大正11年)には、東海道本線東京 - 小田原間とともに電化工事が着手され、翌年の関東大震災により一時中断したものの、翌1924年(大正13年)4月に工事を再開し、1925年(大正14年)7月に工事が完成。同年12月から電気機関車牽引による客車列車の運転が開始された。
しかし、その後沿線人口が年々増加して輸送量も増え、それに伴う列車本数の増大により、電車の導入が有利であるとされ、さらには1930年(昭和5年)に開業した湘南電気鉄道への対策もあることから、横須賀線列車の電車への置換えが計画された。これにより、導入されたのが本項で述べる32系電車である。横須賀線の電車運転は、1930年3月15日から開始されたが、これに充当すべき32系電車の完成が間に合わず、中央線京浜線から予備車をやり繰りして捻出した、モハ30形モハ31形クハ15形サロ18形など101両を使用して開業するという一幕もあった。32系電車は1931年2月に田町区に配置、4月1日から運転開始して、以後約1年で従来の電車を置換えた〔沢柳健一『旧型国電50年 I』 JTB 2002年 58-59頁。『鉄道ピクトリアル』1974年2月号 No.289 12頁。〕。
本系列の計画にあたっては、東京 - 横須賀間62.4kmという当時としては未曾有の長距離を運転する電車となることから、座席定員を極力多く確保するため、三等車も片側2扉として極力車端に寄せ、その間にボックスシートを配置した客車に近い構造となった。しかしながら、客車のような車体の両端に出入り台を有する構造ではなく、客用扉は客室内に配置され、扉と車端との間とその反対側には幅700mmの窓が配置され、その部分はロングシートとなっている。ボックスシート部は、幅600mmの窓が1ボックスに2個ずつ配置されている。
車体の外観は31系に類似し、深い丸屋根や一直線とされた妻部の雨樋を有している。また、東京鉄道局管内の電車としては、初めて車端部に貫通幌と引戸を装備し、基本的に同系車だけで統一された編成を組むなど、従来の省電とは一線を画するものとなった。電動車(モハ32形)の歯車比は、高速運転に適した2.26とされ、さらに弱め界磁率70%の界磁制御を採用している。台車は、電動車こそ釣合梁(イコライザ)式のTR22(後のDT11)であったが、付随車は新設計の軸バネ式TR23を採用した。連結器は、製造当初は自動連結器であったが、連結器遊間解消のため当初から密着連結器の採用を見越しており、1933年(昭和8年)に交換が実施された。
本系列の最大の特徴は、付随車制御車に省電としては初めて20m級車体を採用したことである。20m級車体については、すでにスハ32形などの客車で実績があり、これの構造を踏襲して溝形鋼を用いたUF23形台枠を用いた。これも、車体を延長することにより座席定員を確保しようとする意図の表れである。
一方で、電動車については従来どおりの17m級車体が踏襲された。これは、車体の延長により重量の増した車体に、当時の標準品である100kW形電動機(MT15A)が適合するか懸念があったこと、また台枠や床下機器配置が全面的に新設計となるため設計が間に合わないことなどから、やむを得ず17mとしたといわれている〔ただ、モハ32形が登場した1930年には、既に関西の私鉄においては大鉄デニ500形大軌デボ1200形参急デ2200形といった20m級車体を持った電動車が登場していた。〕。1930年度製は従来からの魚腹形台枠のUF20を用い、1931年度製から溝形台枠のUF24に移行した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「国鉄32系電車」の詳細全文を読む




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