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国鉄42系電車 : ミニ英和和英辞書
国鉄42系電車[42けいでんしゃ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [くに]
 【名詞】 1. country 
国鉄 : [こくてつ]
 【名詞】 1. national railway 
: [てつ]
 【名詞】 1. iron 
: [けい]
  1. (n,n-suf) (1) system 2. lineage 3. group 4. (2) type of person 5. (3) environment 6. (4) medical department (suf) 
電車 : [でんしゃ]
 【名詞】 1. electric train 
: [くるま]
 【名詞】 1. car 2. vehicle 3. wheel 

国鉄42系電車 : ウィキペディア日本語版
国鉄42系電車[42けいでんしゃ]
42系電車(42けいでんしゃ)とは、1933年(昭和8年)から1935年(昭和10年)にかけて鉄道省日本国有鉄道の前身)が製造した2扉クロスシートの旧形電車を便宜的に総称したものである。
具体的には、モハ42形(42001 - 42013)、モハ43形(43001 - 43037)、モハユニ44形(44001 - 44005)、サロハ46形(46100 - 46103)、クハ58形(58001 - 58025)、クロハ59形(59001 - 59021)の105両のことである。1935年から1937年にかけて京阪神地区の急行電車用に製造されたモハ52形を基幹とするグループは、別項(国鉄52系電車)で述べる。

== 概要 ==

42系電車は、本系列で唯一東京地区(横須賀線)に投入されたモハユニ44形を除き、東海道山陽線京阪神地区に投入された。1934年(昭和9年)7月20日、吹田 - 須磨間が電化開業し、電車の運転が開始されたのに伴い新製投入されたものである。東海道・山陽線の関西地区電化区間は、のち同年9月に須磨 - 明石間、1937年(昭和12年)には京都 - 吹田間を延伸している。
1930年代、阪神間では阪神電気鉄道本線および阪神急行電鉄神戸線(現・阪急電鉄)が、京阪間では京阪電気鉄道京阪本線新京阪線(現・阪急京都線)がすでに開業していた。特に阪急や新京阪では、強力な1時間定格出力150kW〔新京阪鉄道P-6形用東洋電機製造TDK-527A(端子電圧750V時1時間定格出力149.2kW、805rpm(全界磁))およびTDK-537A(端子電圧750V時1時間定格出力149.2kW、720rpm(全界磁))。〕あるいは170kW〔阪神急行電鉄920形用芝浦製作所SE-151(端子電圧750V時1時間定格出力170kW、810rpm)。ただし、阪神急行電鉄神戸線は京阪神急行電鉄時代の1967年に直流1,500Vへ昇圧されるまで架線電圧が直流600Vであったため、この電動機は端子電圧600V時1時間定格出力136kWとして取り扱われていた。〕級の主電動機を装備した優秀な電車が高速運転を行なっていた(新京阪P-6形阪急920形など)。
東海道・山陽線の京阪神間電化は、これらに対抗するため、同線での急行電車の運行を企図した背景がある。それゆえ本系列は、当時としては比較的長距離の運行を想定し、片側2扉の20m級車体にクロスシートを装備した。なお横須賀線用に製造された32系ではまだ付随車のみ20mで電動車は17mのままであったが、42系では電動車も含め20m級とされたものである。
しかし搭載電動機は、それ以前の40系電車と同じ100kWの標準品(MT15C〔端子電圧675V時1時間定格出力100kW、653rpm。端子電圧が集電時の電圧降下を考慮して675Vとして設定されているため、端子電圧750Vで換算すると1時間定格出力111kWとなる。〕)であり、並行私鉄の同クラスの電車と比べて出力が小さかった。また内装が木製の半鋼製であり、既に全鋼製車両も存在した並行私鉄に比して、やや見劣りする感は免れなかった〔例えば日本初の20m級電動車となった大阪鉄道デニ500形は、山岳線区である吉野鉄道への直通運転を前提として設計されたこともあったが、端子電圧750V時1時間定格出力127kW、815rpmのウェスティングハウス・エレクトリック社製WH-586-JP-5を主電動機としていた。平坦な東海道・山陽本線での運用を前提とすればMT15やそのマイナーチェンジモデルのMT16(端子電圧675V時1時間定格出力100kW、665rpm(全界磁)、858rpm(58%界磁)の高速回転モデル)でも致命的な出力不足ではなかったが、その後MT15・16を搭載する20m級電動車の一部が主電動機をMT30に換装した事実が示すとおり、これは十分な出力とは言い難い。〕。
当初の歯車比は、モハ32形と同じく高速型の1:2.26で、駅間距離が長い高速運転に適応させ、加速力は度外視している。電動車の台車はTR25(DT12)を、付随車用にはTR23を使用している。これらはいずれも軸バネ式で、ホイールベースを除いては類似設計であり、既に40系電車で採用されていた。
本系列は、太平洋戦争の勃発により最も大きな変貌を遂げた系列で、扉を増設して3扉、4扉となったものがあり、4扉となったものは40系電車の歯車比の大きい低速台車との交換を行なっている。戦後は、1950年(昭和25年)に東京地区の旧モハ51形のモハ41形と交換で横須賀線に転属している。ここでも、3扉の70系電車と併用されることから、電動機交換による出力増強や扉の増設が行なわれている。
1950年代には、クハが身延線飯田線に転出、1960年代には電動車も地方への転出が本格化している。特に飯田線での長距離運用は著名であった。小野田線に残ったクモハ42001は、JR最後の営業用旧形電車として2003年3月まで運用されたことが特筆される。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「国鉄42系電車」の詳細全文を読む




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