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倉橋由美子 : ミニ英和和英辞書
倉橋由美子[くらはし ゆみこ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [そう]
 【名詞】 1. warehouse 2. cellar 3. magazine 4. granary 5. godown 6. depository 7. treasury 8. elevator
: [はし, きょう]
 【名詞】 1. bridge 
: [よし]
 【名詞】 1. reason 2. significance 3. cause 
: [び]
  1. (n,n-suf) beauty 
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

倉橋由美子 : ウィキペディア日本語版
倉橋由美子[くらはし ゆみこ]

倉橋 由美子(くらはし ゆみこ、1935年(昭和10年)10月10日 - 2005年(平成17年)6月10日)は、日本小説家。本名・熊谷(くまがい)由美子、旧姓・倉橋。『パルタイ』、『スミヤキストQの冒険』など初期の作品では戯画・風刺的な傾向が見られる一方、後期では『よもつひらさか往還』など幻想的、作品によってはSF的な要素が多い。
== 経歴 ==
高知県香美郡土佐山田町(現香美市)に歯科医の長女として生まれる。私立土佐高等学校を経て、精神科医を志し公立医学部を受験するが失敗。母は浪人に反対するので京都女子大学国文学学科に籍を置く。医学部を再度受験するが失敗。これ以上の浪人は許されず、日本女子衛生短期大学別科歯科衛生コースに入学〔解説と目録情報 - 明治大学図書館 〕。上京し、大学構内の寮に入る。6畳に4人の生活であった。大学を卒業、歯科衛生士国家試験に合格する。その後、歯科衛生士としてアルバイトしながら東京に留まり、明治大学文学部文学科仏文学専攻に入学〔倉橋由美子明治大学特別功労賞 その次第とこれから 〕して斎藤正直の指導を受け、中村光夫に学んだ。在学中に明治大学学長賞を狙い『パルタイ』を応募。卒業論文ではサルトルの『存在と無』を取り上げた〔Title 倉橋由美子と楊沫の小説比較研究 - Osaka University 〕。帰省中に大学からの電報で『パルタイ』が学長賞に決定を知り、上京。在学中の1960年、『明治大学新聞』に小説「パルタイ」が発表され、明治大学教授の平野謙が『毎日新聞』文芸時評欄でとり上げて注目される。「パルタイ」は、『文學界』に転載され昭和35年度上半期芥川賞の候補となった。同大学大学院文学研究科に進学する〔と同時に作家活動を開始する。『文學界』や『新潮』などに短編作品を次々と発表する。続いて『夏の終り』で芥川賞候補となったが、受賞はしなかった。同年、短編集『パルタイ』を上梓し、翌年、女流文学者賞を受賞。1963年、田村俊子賞賞受賞。「第三の新人」以後の新世代作家として石原慎太郎開高健大江健三郎らと並び称せられ、特に作風や学生時代にデビューしたという共通点のある大江とは比較されることが多かった。
1961年、初の長編『暗い旅』を東都書房より刊行するが、ミシェル・ビュトールの『心変わり』の真似に過ぎないのではないかと江藤淳に指摘され、「外国文学模倣論争」に発展した。本人は『倉橋由美子全作品集』の作品ノートにおいて、これは元々ビュトールの『心変わり』にインスパイアされていることを読者が前提として読んでいることを想定しており、また主人公があなたと二人称で呼ばれていることよりも、ビュトールからはその意識の流れの手法を導入したことが作品の意図であったとしている。1962年、父を心臓発作で失い、大学院を中退して土佐山田の実家に帰るものの、父の喪失のショックからか小説を書くことに拒絶反応が強くなり、編集者を避けるためにしばしば旅に出る。
1964年、結婚し、土佐に新居を構える。かねてより体調は不良で小説を書くことも辛かったという。伊藤整の推薦でフルブライトのアメリカ留学への試験を受け、準備をする為に上京するも、血圧や消化器系統に問題があり昏倒することもあった。精密検査をくり返すが結局アメリカ出発は体調がすぐれず辞退。『聖少女』を書き下ろし新潮社より刊行。フルブライト委員より留学の意志を問われ静養先の西伊豆より上京。1966年より、アメリカのアイオワ州立大学に留学、夫の富裕氏も同大学のフィルムワークショプに入学。同地では健康を回復して翌年帰国。1968年、長女まどかを出産する。また留学先で知り合った友人ヴァージニア・ハルツバーグやアメリカでの経験を描いた小説「ヴァージニア」を群像に発表。同時に、ギリシャ悲劇川端康成の文体に影響を受けた「長い夢路」を新潮に発表。翌年、カフカエスクな『スミヤキストQの冒険』を刊行、空想的な長編として話題となる。
1971年(昭和46年)次女さやかを出産する。また同年『夢の浮橋』を刊行して新境地を開くが、世間的評価は低かった。これ以降は『夢の浮橋』の登場人物からなる連作を長期にわたって創作する。詩人・英文学者の西脇順三郎源氏物語やギリシア神話がその創作のモチーフであるといい、人間関係を軸にブルジョワジーのライフスタイルをリアルに描き、作風の幅を広げた。このシリーズは作者の晩年まで続くこととなるが、この時期以降の作品では以前のようにコンセプト重視の姿勢を前面に打ち出すことは稀で、幻想的で衒学的なものが多い。1980年代以降、日本の作家の中ではかなり早期にワープロを用いた執筆を開始していた。1983年(昭和58年)『アマノン国往還記』で泉鏡花文学賞受賞。1984年(昭和59年)の『大人のための残酷童話』はロングセラーとなった。晩年は体調を崩したこともあって、長編小説の執筆は行われなかった。歴史的仮名遣いで書く作家で、シェル・シルヴァスタイン『ぼくを探しに』、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ星の王子さま』など児童文学の翻訳も多く手がけた。
2005年(平成17年)6月10日、拡張型心筋症により69歳で没した。翻訳『新訳 星の王子さま』が遺作となった。没後の2006年(平成18年)、母校の明治大学より特別功労賞が授与され、同大学において回顧展が開催された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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