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井伊直弼 : ミニ英和和英辞書
井伊直弼[いいなおすけ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [い]
 【名詞】 1. well 
: [ひた, ちょく]
 【名詞】 1. earnestly 2. immediately 3. exactly

井伊直弼 : ウィキペディア日本語版
井伊直弼[いいなおすけ]

井伊 直弼(いい なおすけ)は、幕末譜代大名近江彦根藩の第15代藩主(16代藩主、13代当主という数え方もある〔ノートページ参照〕)。幕末期の江戸幕府にて大老を務め、日米修好通商条約に調印し、日本の開国近代化を断行した。また、強権をもって国内の反対勢力を粛清したが(安政の大獄)、それらの反動を受けて暗殺された(桜田門外の変)。
幼名鉄之介(てつのすけ)、のち、鉄三郎(てつさぶろう)。直弼(なおすけ)。雅号には、埋木舎(うもれぎのや)、柳王舎(やぎわのや)、柳和舎(やぎわのや)、緑舎、宗観(そうかん)、無根水(むねみ、旧字体根水)がある。大獄を行って以降は井伊の赤鬼(いいのあかおに)の渾名でも呼ばれた。
== 生涯 ==

=== 家督相続まで ===
文化12年(1815年)10月29日、第13代藩主(14代藩主、11代当主という数え方もある〔ノートページ参照〕)・井伊直中の十四男として近江国犬上郡(現在の滋賀県彦根市金亀町)の彦根城の二の丸で生まれる。母は側室のお富。
兄弟が多かった上に庶子であったこともあり、養子の口もなく〔もっとも、全くなかったわけではない。延岡藩の後継候補として弟(後の内藤政義)とともに候補として名前が挙がったことはある。〕、父の死後、三の丸尾末町の屋敷に移り、17歳から32歳までの15年間を300俵の部屋住みとして過ごした。
この間、近江市場村の医師である三浦北庵の紹介で、長野主膳と師弟関係を結んで国学を学び、自らを花の咲くことのない埋もれ木に例え、埋木舎(うもれぎのや)と名付けた邸宅で世捨て人のように暮らした。この頃熱心に茶道(石州流)を学んでおり、茶人として大成する。そのほかにも和歌、兵学、居合術を学ぶなど、聡明さを早くから示していた。
ところが弘化3年(1846年)、第14代藩主で兄の直亮の世子であった井伊直元(直中の十一男、これも兄にあたる)が死去したため、兄の養子という形で彦根藩の後継者に決定する。
嘉永3年(1850年)11月21日、直亮の死去を受け家督を継いで藩主となる。嘉永5年(1852年)、丹波亀山藩松平信豪の次女・昌子(貞鏡院)を娶った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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