翻訳と辞書
Words near each other
・ 中村敦夫のザ・サンデー
・ 中村敦夫の地球発22時
・ 中村敦夫の地球発23時
・ 中村敦子
・ 中村敦雄
・ 中村敬一
・ 中村敬一 (岐阜県の政治家)
・ 中村敬之進
・ 中村敬司
・ 中村敬太郎
中村敬宇
・ 中村敬輔
・ 中村数
・ 中村文則
・ 中村文弥
・ 中村斉
・ 中村新右衛門
・ 中村新太郎
・ 中村方子
・ 中村方隆


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

中村敬宇 : ミニ英和和英辞書
中村敬宇[なかむら]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
: [むら]
 【名詞】 1. village 

中村敬宇 ( リダイレクト:中村正直 ) : ウィキペディア日本語版
中村正直[なかむら まさなお]

中村 正直(なかむら まさなお、1832年6月24日天保3年5月26日) - 1891年明治24年)6月7日)は明治時代日本啓蒙思想家教育者文学博士英学塾・同人社の創立者で、東京女子師範学校摂理、東京大学文学部教授、女子高等師範学校長を歴任した。通称・敬太郎、敬輔。敬宇
== 来歴 ==
江戸で幕府同心の家に生まれる。幼名は訓太郎。昌平坂学問所で学び、佐藤一斎儒学を、桂川甫周蘭学を、箕作奎吾英語を習った。後に教授、さらには幕府の儒官となる。幕府のイギリス留学生監督として渡英。帰国後は静岡学問所の教授となる。
教授時代の1870年(明治3年)11月9日に、サミュエル・スマイルズの『Self Help』を『西国立志篇』の邦題(別訳名『自助論』)で出版、100万部以上を売り上げ、福澤諭吉の『学問のすすめ』と並ぶ大ベストセラーとなった。序文にある‘Heaven helps those who help themselves’を「天は自ら助くる者を助く」と訳したのも彼である。
ジョン・スチュアート・ミルの『On Liberty』を訳した『自由之理』(現在では同書を『自由論』と称するのが一般的)は、「最大多数の最大幸福」という功利主義思想を主張し、個人の人格の尊厳や個性と自由の重要性を強調した。
1872年(明治5年)、大蔵省に出仕。女子教育・盲唖教育にも尽力。1873年(明治6年)、同人社を開設。また、福澤諭吉森有礼西周加藤弘之らとともに設立した明六社の主要メンバーとして啓蒙思想の普及に努めた。機関誌「明六雑誌」の執筆者でもあった。
1890年(明治23年)9月29日、貴族院勅選議員に任じられ〔『官報』第2182号、明治23年10月6日。〕、死去するまで在任した〔衆議院参議院編 『議会制度百年史 貴族院・参議院議員名鑑』 1990年11月、147頁。〕。
六大教育家のうちの3名のクリスチャン(あと2人は森有礼新島襄)のうちの1人。興亜会会員。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「中村正直」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Nakamura Masanao 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.