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ボビー・クラーク : ミニ英和和英辞書
ボビー・クラーク[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ビー : [びー]
 (n) bee, (n) bee
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ボビー・クラーク : ウィキペディア日本語版
ボビー・クラーク[ちょうおん]

ボビー・クラーク(Bobby Clarke、本名:Robert Earle Clarke、1949年8月13日 - )はカナダマニトバ州Flin Flon生まれの元プロ・アイスホッケー選手である。ポジションはセンター。NHLではフィラデルフィア・フライヤーズに所属し、キャプテンを長く務めた。引退後も同チームのマネージメントを行う(マネージメントに参画してからはボブ・クラークと表記されることが多い)。ホッケーの殿堂入りを果すとともに、カナダ最高の勲章オーダー・オブ・カナダを受勲している。
== 来歴 ==

=== 糖尿病との闘い ===
ボビー・クラークの故郷 Flin Flon は鉱業が主体の小さな村である。クラークは、毎日何時間か鉱山で作業を行いながら、8歳のときから加入していた地元ジュニアのホッケーチーム (Flin Flon Bombers, ジュニア・ウエスタン・ホッケーリーグ) でプレーを行ったといわれる。1967-1968シーズンには51ゴール、117アシスト168ポイントをあげてその得点力とリーダーとしての資質はNHLのスカウトたちに高く評価された。
しかし、プロ入りには一つの大きな壁があった。それは、15歳の時糖尿病と診断され、毎日インスリンの注射を打って自己管理を行わなければ生命を維持できない体であったことである。
1969年のNHLドラフトで、第2巡目、全体で第17位の指名を受けてフライヤーズに入団する前には、プロからの指名がご破算となるのを懸念したクラークのコーチが北米でも指折りの医療機関といわれるミネソタ州のメイヨークリニックの医師に頼み込んで、クラークの持病がプレーするのに差し支えない旨の診断書を作成してもらったといわれる。
フライヤーズ入団直後には、軽い朝食しか取らないでキャンプに臨んだために、昏倒してしまうといったこともあった。しかし、食事療法により病と付き合いながら徐々に成績を向上させ、1972年にはその忍耐強さ、克己心によってビル・マスタートン記念賞を受賞した。
後年、クラークが試合に臨んで食べたものは語り草になっており、まず、ゲーム前には炭酸飲料にスプーン3杯の砂糖を加えたものを摂り、試合のピリオド間の休憩や試合後、オレンジジュースに加糖したものを補給した。またチョコレート・バーやブドウ糖が添加されたガムを常にバッグに入れていたとも伝えられるが、これらはすべて60分間の試合において、激しい運動により血糖値が低下することを防ぐためであった。
アイスホッケーはいうまでもなく、身体の接触を伴うスポーツであり時に流血を伴い、一般的に糖尿病患者は感染症に弱いといわれるが、クラークのプレイスタイルは、ときにラフといわれるほど執拗なチェックを行うものであった。過酷なNHLで長く、しかも濃密といえる現役生活を送ることができた陰には、前述の食事に対する工夫などの努力があった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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