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サンフランソワの襲撃 : ミニ英和和英辞書
サンフランソワの襲撃[-のしゅうげき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
襲撃 : [しゅうげき]
  1. (n,vs) attack 2. charge 3. raid 

サンフランソワの襲撃 : ウィキペディア日本語版
サンフランソワの襲撃[-のしゅうげき]

サンフランソワの襲撃(-のしゅうげき、英St. Francis Raid)は、フレンチ・インディアン戦争中に起きた襲撃である。1759年10月4日ロバート・ロジャーズ率いるレンジャーズが、当時のヌーベルフランスの、セントローレンス川南部にあるアベナキ族の集落サンフランソワ(サンフランソワデュラク)を中心に襲撃を行った。その日の朝早く、ロジャーズは140人(または142人)の兵を率いて集落に入り、伝えられるところによると、主に女、子供、老人を主に捕え、住人の寝込みを襲って虐殺し、逃げようとした者を射殺して、その後集落を焼いた。ロジャーズの報告では、300人ものアベナキ族を殺したとなっていたが、フランスの報告のほうでは、女子供を中心に30人すれすれだったとなっている。ロジャーズの兵も1人は戦死し、7人(または6人)が負傷した。
ロジャーズと兵たちは、現在のニューヨーク州にあるクラウンポイント砦から、アベナキ族の集落につくまでにかなりの困難を乗り越えてサンフランソワに到着したが、その後にもさらなる困難が待ち受けていた。フランス軍と、復讐心に燃えるインディアンに追跡され、食糧が不足したロジャーズたちは、コネチカット川の峡谷を経由してクラウンポイントに戻った。しかし、彼らに必要な貯蔵食糧を見つけることができず、兵たちは空腹のあまり、人肉を食べたと言われる。また、襲撃に参加した兵のうちの3分の1は戻ってこなかった。
イギリス植民地側のこの襲撃に関する報告では、特に弁解じみたものはなかった。サンフランソワのインディアンたちは、イギリス植民地を、南はマサチューセッツに至るまで襲っており、ロジャーズによれば、集落の中心となる建物には、彼らが剥いだイギリス人の頭皮がたくさん飾られていた。
==歴史的背景==

1759年、フランスからカリヨン砦(タイコンデロガ砦)を奪ったイギリス軍将軍ジェフリー・アマーストは、ケベックを攻めていたジェームズ・ウルフへ密使を派遣し、同時に、ロジャーズ・レンジャーズの大尉クイントン・ケネディを、アベナキ族との和平交渉に派遣した。当時アベナキ族はフランスと同盟関係にあった。8月8日、ケネディはレンジャーズの他の士官や、6人のストックブリッジ・モヒカン族と共に発ったが、8月24日、アベナキ族に捕われ、サンフランソワへ送られた〔Reading Abenaki Traditions and European Records of Rogers’ Raid P.3 〕。アベナキ族は、イギリス人士官を拷問にかけた、あるいは頭皮をはいだといううわさも飛び交い〔Clio's Lessons: Roger's Daring St. Francis Raid 〕アマーストをはじめとするイギリスの士官たちはひどく腹を立て、ロジャーズに、アベナキ族の行為に対し、厳しい制裁を加えるように命じた〔ロジャーズ自身、十代のころにアベナキ族の襲撃を体験していた〔Brumwell, p. 54〕。アマーストは、ケネディの件のみならず、アベナキ族のニューイングランド襲撃や、ウィリアム・ヘンリー砦のイギリス兵暴行も報復の要因としていた〔  Reading Abenaki Traditions and European Records of Rogers’Raid P.5 〕。
9月13日、アマーストはロジャーズに、ならず者のインディアンには慈悲の心は不要であり、復讐を果たせとの命令を下したが、女子供には手出しをしないようにとも伝えた〔Parkman, p. 264〕レンジャーズの隊長で少佐のロジャーズは、142人の士官を含む正規兵、志願兵、民兵、味方のインディアン兵を率いてシャンプラン湖を北上し、サンフランソワへ向かった〔Reading Abenaki Traditions and European Records of Rogers’ Raid PP.3-4 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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