翻訳と辞書
Words near each other
・ ジェームズ・ウォン (作詞家)
・ ジェームズ・ウォン・ハウ
・ ジェームズ・ウォーカー
・ ジェームズ・ウォージー
・ ジェームズ・ウォーターストン
・ ジェームズ・ウォード=プラウズ
・ ジェームズ・ウォーレン・デミント
・ ジェームズ・ウッズ
・ ジェームズ・ウッズ (フリースタイルスキーヤー)
・ ジェームズ・ウッド
ジェームズ・ウルフ
・ ジェームズ・エイジー
・ ジェームズ・エイブリー
・ ジェームズ・エックハウス
・ ジェームズ・エドウィン・キャンベル
・ ジェームズ・エドワード・キーラー
・ ジェームズ・エドワード・スミス
・ ジェームズ・エドワード・フィッツシモンズ
・ ジェームズ・エドワード・ミード
・ ジェームズ・エムトゥーメ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ジェームズ・ウルフ : ミニ英和和英辞書
ジェームズ・ウルフ[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジェームズ・ウルフ : ウィキペディア日本語版
ジェームズ・ウルフ[ちょうおん]
ジェームズ・ウルフJames Wolfe, 1727年1月2日 - 1759年9月13日)は、イギリス陸軍将校。カナダでフランス軍に勝利し、同地におけるイギリスの支配の確立に貢献した功により知られる。
== 出生と初期の軍歴 ==

ウルフはイングランドケント州のウェスタラムで、エドワード・ウルフ大佐とヘンリエッタ夫妻の長男として生まれた。1738年頃に一家はロンドン近郊のグリニッジに転居した。14歳で父親の第1海兵連隊に入隊し、以降も陸軍一筋に軍歴を積んだ。
2年後、オーストリア継承戦争(1740年 - 1748年)が勃発した。ウルフは、病気のせいで、戦争の初期には連隊に同行してヨーロッパへ出征することが適わなかったが、イギリス陸軍歩兵連隊である第12歩兵連隊に転属され、数ヶ月後にフランドルへ出航した。ウルフは少尉に昇進し、大隊の副官を務めた。1743年に、ウルフはデッティンゲンの戦いに参加し、そこでの活躍によってカンバーランド公ウィリアム・オーガスタスに目をかけられることになった。翌年、ウルフは第45歩兵連隊の隊長となった。
1745年、ウルフの連隊はイギリスに呼び戻され、ジャコバイトの反乱の鎮圧にあたった。ウルフは1746年にスコットランドに赴き、ヘンリー・ホーリイ将軍の下で副官を務め、チャールズ・エドワード・ステュアート率いるジャコバイト勢力の鎮圧作戦に加わり、フォルカークの戦いとカロデンの戦いに参戦した。カロデンの戦いでウルフは「命令に従うよりも名誉を重んじる」と主張して、負傷したスコットランド高地人の兵を撃て、と云うカンバーランド公の命令に背いた。この行為は、後にウルフが率いることになったロイヤル・ノースブリティッシュ・フュージリアーズ連隊での声望を高める一因ともなった。
ウルフはドイツに戻り、モードント将軍の指揮下でオーストリア継承戦争の前線に復帰した。ウルフはマーストリヒトの戦いで負傷し表彰を受けた。1748年、21歳で既に7つの作戦行動に参加したウルフはイギリスに帰還した。そして、スコットランドに戻って守備隊に加わり、一年後に第20歩兵連隊の少佐となり、スターリングに駐屯した。1750年、ウルフは、22歳にして、中佐に昇進した。ウルフは8年間にわたりスコットランドの連隊に在籍し、軍事に関するいくつかの論文を上梓し、度々のパリへの出張の結果フランス語にも熟達した。ウルフは、1758年、その2年前に勃発した七年戦争に参加するべく北米へ派遣された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジェームズ・ウルフ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.