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チャールズ・エドワード・ステュアート : ミニ英和和英辞書
チャールズ・エドワード・ステュアート[あーと]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
アート : [あーと]
 【名詞】 art

チャールズ・エドワード・ステュアート : ウィキペディア日本語版
チャールズ・エドワード・ステュアート[あーと]

チャールズ・エドワード・ステュアート(, 1720年12月31日 - 1788年1月31日)は、ジャコバイトの主張したイングランドスコットランドの王位継承者(または王位請求者)である。「若僭王〔()〕」「小僭王」「チャールズ3世」などとも呼ばれる。全名はチャールズ・エドワード・ルイス・ジョン・カシミア・シルヴェスター・マリア・ステュアート()。
==生涯==
ジェームズ・フランシス・エドワード・ステュアート(老僭王)とポーランドヤン3世ソビエスキの孫娘マリア・クレメンティナ・ソビエスカの長男。父は名誉革命によってイングランドを逐われ、チャールズは教皇インノケンティウス13世時代のローマで生まれた。教皇の庇護をうけ、少年時代をローマおよびボローニャで過ごした。父の影響もあって必然的にカトリック信仰に入ったことが、チャールズの王位奪還運動を困難にすることになった。
ジャコバイトの多いスコットランドなどではチャールズの人気が根強く、「いとしのチャールズ王子〔(Bonnie Prince Charlie)〕」と呼ばれて愛された。チャールズは再三ブリテン島上陸を試みるが、スコットランドの支持勢力との息があわず、時にはジャコバイトを見殺しにする結果になることもあった。1745年のジャコバイト蜂起でチャールズは念願のブリテン上陸をはたし、政府軍を破ったが、カロデンの戦いカンバーランド公ウィリアム・オーガスタスに惨敗し、変装して大陸に逃げ帰るしかなかった。
その後、チャールズのイタリアでの淫蕩生活やカトリック信仰へのこだわりから、以前の熱狂的な人気は色褪せていった。1772年、32歳年下のドイツ人の小諸侯の娘ルイーゼ・ツー・シュトルベルク=ゲーデルンと結婚したが、間に子供は生まれなかった。チャールズはそのままローマで1788年に没するが、人気が全く消失したわけでなく、スコットランド人の伝説的存在となり、チャールズを題材にした歌〔''Skye Boat Song''、1884年〕も作られた。愛妾クレメンティーナ・ウォーキンショーとの間に娘シャーロット(1753年 - 1789年)をもうけたものの、非嫡出子のため、ジャコバイトの王位継承権は弟のヘンリー・ベネディクトに継承された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「チャールズ・エドワード・ステュアート」の詳細全文を読む




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