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カンダハール : ミニ英和和英辞書
カンダハール[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

カンダハール : ウィキペディア日本語版
カンダハール[ちょうおん]

カンダハールKandahar ダリー語 : قندهار Qandahār)は、アフガニスタン都市。アルガンダブ川渓谷に位置する同国南部の主要都市でカンダハール州の州都。人口は450,300人 (2006年の公式推計)で、カーブルに次いでアフガニスタン第2の都市である。標高は海抜1,005 m、31°37′N 65°43′E。
アフガニスタンの最大民族パシュトゥーン人の居住地域にあり、パキスタンペシャーワルと並ぶパシュトゥーン人の主要都市。アジアハイウェイの路線上にあり、北はウルーズガーン州タリンコート、東はガズニーを経てカーブルに通じ、西はヘラートファラーを経てイランホラーサーン地方および中央アジアに至る。南に進めば国境を越えてパキスタン領バローチスタンクエッタに至り、インダス川下流域の大平原からインド亜大陸へと通ずる交通の要衝で、国際空港もある。
羊、羊毛、綿花、絹、フェルト、穀物、果物、ドライフルーツ、タバコの主要な交易センターである。周辺地域はザクロとブドウをはじめ質の良い果物を産出し、市内には多くの果物加工工場が稼働している。
カンダハールの名前は、前4世紀の征服者アレクサンドロス(Alexandoros)の「xandoros」の部分が転訛したとの説があるが〔Alexander the Great: his towns - ''Alexandria in Arachosia''...Link 〕、カンダハールの東方、カーブルのさらに東にある仏教文化の本場ガンダーラの転訛とする説もある〔Hobson Jobson Dictionary 〕。1748年アフマド・シャー・ドゥッラーニーが建国したドゥッラーニー朝の首都であった〔Columbia Encyclopedia (Sixth Edition) - ''Kandahar''...Link
Columbia Encyclopedia (Fifth Edition) - ''The City of Kandahar''...Link 〕。
== 歴史 ==
カンダハールの地には先史時代から多くの人々が住みつき、インド・イラン・中央アジアをつなぐ交易の拠点となっていたことが知られる〔ムンディガクとデー・モラシ・グンダイの遺跡の発掘によって確かめられている。(前田(2002)66ページ)〕。
紀元前6世紀頃にはアケメネス朝の支配下に入り、ペルシア帝国属州となった〔紀元前559から前330年には、ハラウワティという名であったことが、ダイオレス1世のペルセポリス碑文によって明らかとなった。(前田(2002)66ページ)〕。
現在に繋がるカンダハールの町は、紀元前4世紀、アケメネス朝を滅ぼしたマケドニア王国アレクサンドロス大王ギリシャ語でアラコシア地方〔ヘレニズムの時代からアラコシアと呼ばれ、広くアフガニスタンの南東地域を指す名称であった。(前田(2002)66ページ)〕と呼ばれたこの地域の主邑として、既に数千年前からの集落があったカンダハールの地に築いたギリシャ都市アレクサンドリア・アラコシアに遡る〔この町が現在のカンダハールではなく、いま「シャル・イ・コナ」(古き町)と呼ばれている古カンダハルである(前田(2002)66ページ)〕。同じ世紀の末(紀元前305年)にはアレクサンドロスの帝国を引き継いだセレウコス朝からマウリヤ朝チャンドラグプタに割譲され、孫のアショーカ王(在位紀元前268~前232年)はこの地に法勅碑文を刻ませた。丘陵の岩壁にギリシア語アラム語で刻まれており、小磨崖法勅と呼ばれるカンダハール第一法勅である。第二法勅(ギリシア語碑文)、第三法勅(アラム語碑文)も1963年に発見されている。
インドの王国の支配下に入ってインド文明の影響を受け、仏教が信仰されるようになった。その後もクシャーナ朝サーサーン朝の統治のもとで仏教文化が栄えたが、7世紀アラブ人による征服を受け、ムスリム(イスラム教徒)の支配下に入った。
9世紀から12世紀にかけて、カンダハールはサッファール朝ガズナ朝ゴール朝などのイラン・アフガニスタン方面に勃興したイスラム王朝の支配を相次いで受け、イスラム都市となっていった。ゴール朝の滅亡後まもない1222年にはチンギス・ハーンによって征服され、モンゴル帝国の版図に加えられる。1383年には今度はティムールの征服を受け、アフガニスタン南部からバローチスターン北部(クエッタ周辺)を支配するティムール朝の地方政権が栄えた。
16世紀初頭に中央アジアから南下してきたティムール朝の王子バーブルがカーブルを本拠地とする政権を樹立するとカンダハールもその支配下に加えられ、バーブルの興したムガル帝国の一部となった。バーブルが死ぬと、カーブルを継承した次男カームラーンの支配下に入り、インドを支配する長男フマーユーンとの間で争奪され、これに西のイランを支配するサファヴィー朝が介入した。
ムガル帝国を再統一したフマーユーンの子アクバル以来、カンダハールはムガル帝国とサファヴィー朝の間で激しい争奪戦が繰り広げられる最前線となり、1558年にサファヴィー朝のタフマースブ1世が奪取したが、1594年にアクバルが奪還した。1621年になってサファヴィー朝のアッバース1世がカンダハールを占領したが、1638年にはカンダハール総督のアリー・マルダーン・ハーンがサファヴィー朝に反逆してムガル帝国に下り、再度ムガル帝国の統治下に入った。これをサファヴィー朝が1649年に軍事力によって奪回し、その後幾度かムガル帝国の軍を撃破してサファヴィー朝の支配が続く。
18世紀初頭、サファヴィー朝の支配力の衰退が著しくなると、この地方に居住するパシュトゥーン人ギルザイ部族に属するがカンダハールを拠点としてサファヴィー朝から自立した。ミールワイスの子ミール・マフムード1722年にサファヴィー朝の都イスファハーンを征服し、イランの大部分を支配するに至る。しかし、1737年にサファヴィー朝に代わってイランのシャー(王)に即位したアフシャール朝ナーディル・シャーによってギルザイ政権は打ち破られ、カンダハールは徹底的に破壊された。これによりアレクサンドロス以来のカンダハールは放棄される。
1747年にナーディル・シャーが暗殺されるとアフシャール朝の勢力は後退し、かわってナーディルに仕えていたパシュトゥーン人の将軍アフマド・シャー・ドゥッラーニーがこの地方の支配権を握った。アフマド・シャーは、放棄されたカンダハール旧市から東に5km離れた位置に新たな城塞都市を築き、自らが樹立したドゥッラーニー朝の首都に定めた。新カンダハール市は、18世紀末にカーブルに移るまでドゥッラーニー朝の首都として使われた。
アフガニスタンがイギリス領インドと境を接するようになると、カンダハールはインドと容易に往来できる位置にあることから1838年から1842年1879年から1881年には二度に渡ったアフガン戦争の戦場となり()、いずれも緒戦でクエッタから侵攻して来たイギリス軍によって占領された。
アフガニスタン紛争では激しい戦闘の末、ソ連軍の支配下に置かれた。カンダハール空港も10年間にわたりソ連軍の手に渡った。ソ連軍が撤退し、ナジーブッラー政権が崩壊するとパシュトゥーン人の軍閥指導者グル・アーガー・シェールザイーが掌握するところとなった。アフガニスタン内戦では1994年8月にターリバーン最初期の占領地となり、ターリバーンの勢力拡大の物心両面の本拠として重要な地位を占める。ターリバーンがアフガニスタン・イスラム首長国(ターリバーン政権)を建国した際には、カンダハールには国家元首(首長/アミールル・ムーミニーン)であるムハンマド・オマルが常住するとともに、政権の最高指導機関である最高評議会が設置された。首都カーブルには政府機関が所在していたが、それらもカンダハールのオマルの承認なしにはいかなる政策も実行することができず、カンダハールはアフガニスタン・イスラム首長国の事実上の首都の感を呈した。1999年12月にはカトマンズデリー行きのインド航空814便がイスラム過激派ハラカトゥル・ムジャーヒディーンによってハイジャックされ、ターリバーン統治下のカンダハルに着陸させられる事件が発生した。
2001年アメリカのアフガニスタン侵攻では10月からペルシア湾に展開するアメリカ海軍の艦艇から巡航ミサイルの攻撃を受けた。北部同盟の大攻勢で首都カーブルが失われた後もカンダハールはターリバーン側の最後の拠点となり、12月6日の明け渡しまで激しい攻防戦が繰り広げられた。ターリバーンの撤退後、ターリバーンの残党による小規模な武力集団が周辺地域に広く展開した。ターリバーンに代わって、かつて同地域を支配したグル・アーガー・シェールザイーがカンダハール州を掌握したが、タリバンの台頭を許した腐敗の温床が再現されることが、かえって懸念された。グル・アーガー・シェールザイーは2003年までカンダハール知事の地位にあった。
2007年現在、アメリカに支援を受けたカルザイ大統領率いる新政府が、カンダハール市を完全に掌握している。現知事はアサッドラー・ハリド。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「カンダハール」の詳細全文を読む




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