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エスファハーン : ミニ英和和英辞書
エスファハーン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

エスファハーン : ウィキペディア日本語版
エスファハーン[ちょうおん]

エスファハーン(; Eṣfahān) は、イラン都市エスファハーン州州都テヘランの南約340kmに位置する〔『西アジア』、108頁〕。日本語では、慣例的にイスファハンイスファハーンとも表記される〔『イランを知るための65章』、6頁〕。
古くからの政治・文化・交通の拠点であり〔蒲生「イスパハーン」『アジア歴史事典』1巻、168頁〕、16世紀末にサファヴィー朝首都に定められ発展した。当時の繁栄は「エスファハーンは世界の半分(Esfahān nesf-e jahān ast、エスファハーン・ネスフェ・ジャハーン)」と賞賛され〔『イランを知るための65章』、206頁〕〔20世紀のイランの作家サーデグ・ヘダーヤトは、1932年に同名の紀行文『エスファハーンは世界の半分』を発表した。(『事典 イスラームの都市性』、59頁)〕、この街を訪れたヨーロッパの商人も繁栄の記録を残している。イラン人にとってエスファハーンは歴史的・文化的に重要な町であり〔宮田『物語イランの歴史 誇り高きペルシアの系譜』、84頁〕、町の美しさは「イランの真珠」と例えられる〔NHK「アジア古都物語」プロジェクト編『イスファハン オアシスの夢』、18頁〕。
町は16世紀以前に建設された旧市街と、サファヴィー朝の王アッバース1世が建設した新市街で構成される。有名なイマーム・モスク(王のモスク〔1979年のイラン革命パフラヴィー朝が崩壊した後、王(シャー)という言葉の使用が禁止されたため、王のモスクはイマーム・モスク、王の広場はイマーム広場に改称された。(宮田『物語イランの歴史 誇り高きペルシアの系譜』、83-84頁)〕)などがある新市街のイマーム広場(王の広場〔)は、ユネスコにより世界遺産に登録されている。
町の住人は「倹約家」「吝嗇家」として良くも悪くも有名であり、他の地域の人間からは敬遠されることがある〔『西アジア』、111頁〕。イランでは「エスファハーンはいいところだ。エスファハーン人さえいなければ」という住民を揶揄する言葉も知られている〔上岡『イラン』、291-293頁〕。また、エスファハーンの人間は訛りが強いことでも知られ、言葉を聞いただけで容易に出身地が判別できるほどだと言われる〔。
== 語源 ==
古代ペルシア語の"Aspad-hana"(アスパダナ、大軍の集結地)が、町の名前の由来である〔蟻川明男『世界地名語源辞典』(三訂版, 古今書院, 2003年3月)、37頁〕。「大軍の集結地」が示す通り、町の周辺の平原は軍隊の駐屯地や捕虜の収容所として使われていた〔『ユネスコ世界遺産 3(西アジア)』、200-211頁〕。古代ペルシア語の"Asp"(馬)から派生した「馬を愛する者」「騎兵の補給基地」「厩舎」を語源とする説も存在する〔『世界の地名・その由来 アジア篇』(和泉光雄編著, 講談社出版サービスセンター, 1997年1月)〕。
古代ローマプトレマイオスの地理書には、町はアスパダナ(Aspadana)の名前で記されている〔。サーサーン朝の末期に鋳造された貨幣には、アスパダナを意味する"ASP"の3文字が刻まれていた〔。
エスファハーンの名前は、7世紀に町を征服したアラブ人によって定着した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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