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塙保己一 : ウィキペディア日本語版
塙保己一[はなわ ほきいち]

塙 保己一(はなわ ほきいち、延享3年5月5日1746年6月23日) - 文政4年9月12日1821年10月7日))は、江戸時代国学者。幼名は丙寅にちなみ寅之助(とらのすけ)、失明後に辰之助(たつのすけ)と改める。また、一時期、多聞房(たもんぼう)〔保己野村のすぐ近くの池田村に住む正覚坊(しょうかくぼう)という行者に、自分の弟子になれば治らぬ病気はないと言われ、父により弟子入りさせられ、多聞房と名乗ったが、失明は回復しなかった。〕とも名乗る。雨富検校に入門してからは、千弥(せんや)、保木野一(ほきのいち)、保己一(ほきいち)と改名した。『群書類従』『続群書類従』の編纂者である。総検校。贈正四位
子に伊藤博文山尾庸三暗殺されたと推測される国学者塙忠宝がいる。
==生い立ち==
武州児玉郡保木野村(現在の埼玉県本庄市児玉町保木野)に生まれる。塙は師の雨富須賀一の本姓を用いたもので、荻野(おぎの)氏の出自。近世に帰農した、百姓の家系であるという。父は宇兵衛、母は藤木戸村(現在の加美郡木戸村)の名主斎藤理左衛門家の娘きよ。弟卯右衛門(うえもん)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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