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龍帝衛福 : ミニ英和和英辞書
龍帝衛福[りゅうてい うぇいふ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [りゅう]
  1. (oK) (n) (1) dragon 2. (2) promoted rook (shogi)
: [みかど]
 【名詞】 1. (1) emperor (of Japan) 2. mikado 3. (2) (the gates of an) imperial residence 
: [ふく]
 【名詞】 1. good fortune 

龍帝衛福 : ウィキペディア日本語版
龍帝衛福[りゅうてい うぇいふ]

龍帝 衛福(りゅうてい うぇいふ、1986年6月2日 - )は、中華人民共和国山東省出身で、二所ノ関部屋に所属していた元大相撲力士。本名・日本名同じ、中国名は李 衛福(り・うぇいふ)。身長186cm、体重212kg、血液型O型。最高位は東三段目3枚目(2007年9月場所)。
== 来歴 ==
二所ノ関部屋関脇金剛)初の外国出身力士として来日し、入門。2004年3月場所で初土俵を踏む。四股名は「龍帝」。同期入門には幕下付出入門の大岩戸高見藤や、木村山磋牙司里山白乃波益荒海出羽鳳らがいる他、同じ中国出身の真鶴伊勢ヶ濱部屋(のち桐山部屋を経て現在は朝日山部屋)に入門している。
初土俵場所の前相撲は2番出世となり、同場所9日目に師匠二所ノ関親方(元関脇・金剛)が現役時代つけていた化粧回しを付けて新序出世披露を受けた。
初めて番付に名前が載った場所こそ負け越したが、同年7月場所では4連勝で早々と勝ち越しを決める。5番相撲で敗れて序ノ口優勝は絶たれたが、6勝1敗の好成績で場所を終え、翌9月場所では序二段に昇格。序二段は2場所で通過し、2005年1月場所では早くも三段目に昇格した。昇格場所は負け越して1場所で序二段に戻ったものの、陥落2場所の同年5月場所を6勝1敗の好成績で終えて翌7月場所で三段目に復帰してからは三段目に定着した。
2006年7月場所で1番相撲から5連敗を喫して1勝6敗の成績で終わると、翌9月場所は初めての休場となり、11月場所では序二段へ降格。1場所で戻り、2007年7月場所では6番相撲で山本山に敗れただけの6勝1敗という好成績、翌9月場所では幕下目前の東三段目3枚目まで昇格したが、2場所後の2008年1月場所で2度目の休場。復帰以降は三段目下位では活躍するが、上位ではなかなか勝ち越せなかった。
2010年1月5日に日本国籍を取得〔SANSPO.COM龍帝が日本国籍取得 日本名は「龍帝衛福」 、2010年1月21日〕。同年3月場所前には二所ノ関部屋に2人目の外国出身力士としてモンゴル出身力士が入門し、新弟子検査を受けて合格している。当時は「外国籍の力士(入門時点で10年以上日本に住んでいる力士を除く)は1部屋1人まで」となっており、龍帝の帰化で入門できるようになった形だが、他の相撲部屋でも似たケースが多数発生しており、この直後に日本相撲協会は「外国出身力士は1部屋1人まで」と規則を改めることになった。なお、このモンゴル出身力士は病気の為2011年5月技量審査場所限りで引退している。
2006年7月場所以降引退まで、通常は行司によって13日目・14日目・千秋楽のいずれかにランダムで振り分けられるはずの7番相撲が、龍帝はなぜかずっと13日目に振り分けられていた(休場の2006年9月場所・2008年1月場所を除く)。この現象は同時期より、他の二所ノ関部屋所属力士でも同様に見られていた(ただし他の力士は稀に14日目に振り分けられるのに対し、龍帝はずっと13日目である)。〔一説には勝負審判同士の話し合いを経てある程度親方衆の意向が反映された形で取組日が決定するとされるが、当時審判部を務めていた湊川(元関脇・大徹)や富士ヶ根(元小結・大善)が特に希望を申し出なかったため機械的に処理されたという。〕
三段目の土俵が長く続いたが、結局幕下に上がることは無かった。師匠二所ノ関親方が2012年10月に病に倒れると、部屋をそのまま存続させることは困難となったため、二所ノ関部屋は2013年1月場所限りで閉鎖されることになり、龍帝もこの場所限りで現役を引退することとなった〔新十両は栃飛龍のみ、再十両は2人 スポーツ報知 2013年1月30日(2013年1月30日閲覧)〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「龍帝衛福」の詳細全文を読む




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