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高山哲哉 : ミニ英和和英辞書
高山哲哉[たかやま てつや]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 
高山 : [こうざん]
 【名詞】 1. high mountain 2. alpine 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [や]
 (n) question mark

高山哲哉 : ウィキペディア日本語版
高山哲哉[たかやま てつや]

高山 哲哉(たかやま・てつや、1973年8月30日 - )は、NHKアナウンサー山口県宇部市出身。
== 人物 ==
早稲田大学卒業後、1996年入局。7年目の2002年春に東京アナウンス室へ異動してからは、音楽・バラエティー番組を中心に活躍。私生活では、2015年4月時点で5歳と生後5か月の2児の父親である〔。
NHK紅白歌合戦』関係も数多く担当した。特に転勤翌年暮れの『第54回NHK紅白歌合戦』では、先輩の阿部渉とのコンビで白組司会を男性局アナ最年少(当時30歳)で務めた。転勤直後から『爆笑オンエアバトル』の司会を担当していたこともあり、はなわテツandトモら“オンバト芸人”が登場するコーナーでは、後任司会の藤崎弘士(当日はラジオ実況担当)とともに盛り上げた〔オーバーヒートし過ぎて、紅組司会だった先輩の有働由美子にたしなめられる結果となった。〕。2005年は『第56回NHK紅白歌合戦』に向け、後に『オンバト』司会となった後輩の神田愛花(当時NHKアナウンサー)と期間限定のユニット「アイカとテツヤ」が結成され、紅白PR大使を務め主に西日本地区を回った。キャンペーンで使用されたデュエットソング「スキウタビバビバ」は高山自らが作詞した。
東京を離れる前に担当していた若者向けのラジオ番組では、「てっちぃ」という愛称で親しまれたほか、2005年12月から2006年6月まで、読売新聞夕刊に『高山哲哉のPOWER喋る』というエッセーを連載していた。
広島放送局ではニュースワイドや討論番組のキャスターを中心に、『いのちのうた』など地域色の強い単発の音楽番組の司会も担当。地上デジタル推進大使として普及に務めたほか、ラジオバラエティーの番組パーソナリティーなど幅広く活動してきた。
「テレビを見るのは1日1時間までで、チャンネル権は父が持つ」という家庭の中で、ラジオが楽しみの一つだった。テレビの音声が聞けるラジカセを使って、聴こえて来た『PAO〜N ぼくらラジオ異星人』(KBCラジオ)にはまってリスナーになり、『PAO〜N』を頻繁に採り上げていた雑誌『ラジオパラダイス』もよく読んでいた〔『なつかしラジオ大全』(三才ブックス)180 - 181ページ。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「高山哲哉」の詳細全文を読む




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